575/57577(2019年)

 

 

2019

 

露ひかる若楓の清冽さ

dewdrops

 

「足るを知れ」あじさいの花が言っている

“Know enough.”

 

しじみ汁ちゅっちゅっとやり日が暮れる

clam soup

 

知ろうとしない者を馬鹿と呼ぶ

because, you don’t to know

 

休みまで疲れられれば日本人

gold-plated week

 

都合よく忘れられれば日本人

forget me not

 

「生きてね」と言って別れる日曜日

survive life

 

 

(2019年5月25日(土))

考察を書くにあたって

 

 

【考察を書くにあたって】(2019年4月版)

 

 この考察は、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の台詞やキーワードを流れのままに拾っていきながら、難解なストーリーを理解していこうという試み(2012年10月終了)のうち、考察部分のみを抽出した省略版です。(考察の変遷は最後に記載。)

 2019年の再公開にあたり、以下の修正を加えました。

  ・引用を減らすため、考察以外の部分を省略

  ・個人的に直したい語尾があったので修正(たくさんありますが、一ヶ所だけ)

  ・各項目ごとの疑問点を見出しとして追記

  ・ほか、補足説明等追記

 上記の変更点は主に表記上の話であり、考察の内容について特に変更はありません。また、考察部分以外バッサリと削ぎ落としていますので、文章の前後でつながりが分からない部分も多々あります。読みにくい点はご容赦ください。

 画像や映像はありませんが、明らかにネタバレしています。まだエヴァを見たことがないという方は、一度本編を見てから読んでいただきたいと思います。

 私の文章力が不安定かつ考察の終了まで7年半以上かかっているため、各項目、あるいは項目内であっても文体の違いがあります。また、回りくどく読みにくい箇所が多々あると思いますが、エヴァンゲリオンの世界を楽しむ一助になっていただければ、これ幸いということで。

 

【注意書き】

■話数表記について

 考察内での話数の表記は、タイトル等を除き、見やすさを考えて英数字表記(第1話、第2話・・・)で統一しています。第弐拾伍話は第25話、最終話はそのまま最終話、劇場版の第25話、第26話は、それぞれのサブタイトル「Air」、「まごころを、君に」と表記しています。ただし、引用文内の表記は手を加えずに記載しています。

■第弐拾壱話以降について

 第弐拾壱話~第弐拾四話には、オンエア版とビデオフォーマット版が存在します。ここでは、ビデオフォーマット版を完成されたものとし、そちらを元に考察を進めます。

■省略箇所について

 全角の「・・・」は私自身で省略したことを、三点リーダ「・・・」は台本などで実際に三点リーダになっていることを示しています。

 

【参考資料】

 以下は、考察を書くにあたって参考にした資料やサイトです。( [ ] 内は考察での表記になっています。)

 ■映像系

  ・DVD「NEON GENESIS EVANGELION」リニューアル版 : [DVD解説書、DVD内解説、アフレコ台本、追加台詞など]

 ■書籍系

  ・「EVANGELION ORIGINAL Ⅰ~Ⅲ」(著:庵野秀明 他) : [オリジナル]

  ・「完本 エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き」(著:北村正裕) : [夢の続き]

 ■ウェブサイト

  ・「GAINAX NET 新世紀エヴァンゲリオン(http://www.gainax.co.jp/anime/eva/index.html) 閉鎖」 : [作品紹介、キャラクター紹介]

 上記の4つを基本とし、補助的に以下の資料を使います(が、ほとんど使いません)。

  ・「NEWTYPE FILMBOOK EXTRA 新世紀エヴァンゲリオン リミックス」(執筆:岸川靖 他) : [リミックス]

  ・「NEWTYPE 100%COLLECTION 29 新世紀エヴァンゲリオン」: [設定資料]

 誤字、脱字、勘違い等のご指摘はコメント、メールなどから頂けると助かります。色々な意見を聞きたいと思っていますので、こうじゃないかというご意見など、お気軽に。

 

【考察の変遷】

  2005年1月:「Eの世界」として開始(gooブログ)

  2005年7月:第13話で一旦終了

  2008年11月:再開(第1話から第13話まで見直し改訂)

  2009年5月:ココログに移行

  2011年5月:テレビシリーズ最終話までの考察終了

  2012年10月:旧劇場版まで終了、全記事の改訂版公開

   ・出典の明確化

   ・台詞の表記をアフレコ台本の記述で統一(DVD版予告など、台本にない台詞は聞こえるまま手打ち)

   ・” “を『 』にするなど、文章を読みやすくした(が、私の文体が読みにくいのは仕様)

   ・『夢の続き』のページ数を、ハードカバー版から文庫版へ変更

  2013年6月:全記事の公開終了

  2019年4月:省略版公開

 

最終更新:2019年4月26日

 

エヴァ考察ログ(抜粋版)

 

 

エヴァ考察ログ(抜粋版)

 

※考察内の表記、使用した資料などは「考察を書くにあたって」を参照のこと。

 

 

【目次(ページ内リンク)】

※項目によってボリュームに差があります。

 

■テレビシリーズ

「機体とパイロットの互換性について」(第10話)

「エヴァの魂と人格移植OSの関係について」(第13話)

「エヴァとパイロットのシンクロについて」(第14話)

「シンクロとA10神経の関係」(第14話)

「碇ユイという人について」(第15話)

「ネルフ地下の巨人について」(第15話)

「第16話タイトル『死に至る病、そして』について」(第16話)

「使徒とパイロットの接触」(第17話)

「米国第2支部のエヴァパイロット(故人)」(第17話)

「葛城博士について(1)」(第17話)

「ダミーシステムについて」(第17話)

「トウジ選出の背景(1)」(第17話)

「トウジ選出の背景(2)」(第17話)

「トウジが見た夢」(第19話)

「ケンスケがトウジのパイロット選出を知ったのはいつか」(第19話)

「レイの変化」(第19話)

「初号機がダミーまで拒絶したのはなぜか」(第19話)

「第19話について」

「セカンドインパクトについて」(第21話・ビデオフォーマット版)

「セカンドインパクトについて(補足)」(「NEON GENESIS EVANGELION 01 TEST-TYPE」オープニング映像)

「葛城博士について(2)」(第21話・ビデオフォーマット版)

「赤木ナオコについて」(第21話・ビデオフォーマット版)

「ユイが初号機に取り込まれるという事態は予測できたのか」(第21話・ビデオフォーマット版)

「アスカのインナースペースでの葛藤(追加シーン)」(第22話・ビデオフォーマット版)

「第23話サブタイトルの変更について』(第23話・ビデオフォーマット版)

「レイの涙の意味」(第23話・ビデオフォーマット版)

「零号機の潰れたコアに残されたもの」(第23話・ビデオフォーマット版)

「リツコの言う『神様』とは」(第23話・ビデオフォーマット版)

「エヴァのコアと、人間の魂の関係」(第23話・ビデオフォーマット版)

「カヲルに与えられた使命、託された願いとは何か」(第24話・ビデオフォーマット版)

「ゼーレの補完計画について」(第24話・ビデオフォーマット版)

「地下の巨人を前に、カヲルは何に気付いたのか」(第24話・ビデオフォーマット版)

「カヲルと弐号機の関係」(第24話・ビデオフォーマット版)

「テレビ版第25話、最終話考察あとがき」

 

■旧劇場版「Air/まごころを、君に」

「日向らネルフオペレーターにとっての補完計画とは」

「戦自のネルフ侵攻とセントラルドグマについて」

「ヒトと使徒、アダムとリリスの関係」

「ミサトの死に際の一言」

「シンジの中のミサト」

「リツコの造反失敗」

「パターン(BLOOD TYPE)について」

「生命の樹となった初号機の中でシンジが見た世界」

「マンションでのシンジとアスカのやり取り」

「(無言)のテロップについて」

「現実パート」

「最終2話のサブタイトルの意味」

「ラストシーン」

「旧劇場版考察あとがき」

 

 

【考察】

 

■「機体とパイロットの互換性について」(第10話)

 レイが弐号機に乗っても、おそらく動かせないだろう。こういう、パイロットの「互換性」を無視している場面は今話までにいくつかあり、第6話ではレイが、「初号機のパーソナルデーターの書き換え」によって初号機に乗ると言っているし(シンジとの機体互換性が確認されるのは第13話)、第8話では、ゲンドウが、おそらくシンジを指して、「予備のパイロット」と言っている。もしかしたら、初期の設定では「互換性」という発想はなく、「パーソナルデーター」を特定のパイロットのものに書き換えれば動かせるという話だったのかもしれない。

 

■「エヴァの魂と人格移植OSの関係について」(第13話)

 下記のDVD内解説によれば、「第七世代有機コンピュータ」とは人間の脳を模倣して作られたコンピュータであり、そして上記のミサトの台詞から、その第七世代有機コンピュータに個人の人格を移植して思考させるのが「人格移植OS」であるらしい。
 この「人格移植OS」が「エヴァの操縦」に使われているという。ならば、エヴァにも第七世代有機コンピュータが搭載されており、パイロットが関わる部分に使われているということだろう。
 MAGIがナオコの人格を持った第七世代有機コンピュータであるのなら、エヴァのそれには誰の人格が移植されているのだろうか。
 コンピュータはOSで動く。第七世代有機コンピュータも然りである。しかしOSとはシステムにすぎない。コンピュータがあり、OSもインストールされていたとしても、それを動かす人間がいなければ、ただの機械で終わってしまう。
 人間はコンピュータを使う。コンピュータを使って何かをするためである。これはそのまま「エヴァの操縦」にも当てはまる。人間(エヴァパイロット)はOS(人格移植OS)がインストールされたコンピュータ(第七世代有機コンピュータ)を使って何かをしたい(エヴァを動かしたい)ということだ。
 ただ、エヴァの場合は、そのコンピュータを扱える人間が限定されている。それが「エヴァとのシンクロ」という問題ではないだろうか。

 では、「人格移植OS」=「エヴァの魂」かというと、それでは味気ない気がするんですよね。もし仮にそうなら、MAGIに人格移植OSをインストールすることも相当な危険を伴う作業だったはずなのに、実際にはMAGI完成時もナオコは生きていたし、初号機に取り込まれてしまったユイのように、命のやりとりをするようなことがあったようには思えない。
 自分としては、エヴァは人格移植OSがインストールされた第七世代有機コンピュータによって動くけれど、それはあくまでパイロットの機械的な操縦に関して使われているだけで、エヴァに宿っている魂とは別問題の、エヴァの魂とパイロットの魂をシンクロさせるために(つまり、「エヴァの操縦」に)使われているだけのものではないかと。
「魂のデジタル化はできません」というリツコの台詞の通り、機械は機械であって人間の真似はできても人間そのものにはなれないし、その絶対に超えられない壁の象徴みたいな存在がMAGIなのかもしれない。

 

■「エヴァとパイロットのシンクロについて」(第14話)

 パーソナルパターンについては『夢の続き』第三章に詳しいのでそちらを。見落としがちですが重要な要素です。一部抜粋すると、『レイが、七ヶ月もの訓練を経て、零号機とシンクロ可能な状況を作ったため、その結果作られた零号機は、当然、レイと似たパイロットとはシンクロしやすいような「個性」を獲得しているのである。この「個性」こそが、すなわち、エヴァの「パーソナルパターン」と呼ばれるものだろう』(P.107)。
 以下、私見(というか思いつくまま)。

 エヴァとパイロットの魂の交感がシンクロと呼ばれるものならば、エヴァの魂がパイロットの魂と認識する対象は、シンクロ可能な(エヴァのパーソナルパターンに適応可能な)パイロット本人が乗るエントリープラグか、パイロットの疑似データ(ダミーシステム)で擬態されたエントリープラグ、もしくは、『疑似エントリープラグ』(7巻・DVD解説書【ダミープラグ】)であるダミープラグなのかもしれない。
 今回の零号機の2回目の暴走時、シンジが、「頭に入ってくる」と感じたイメージは、いつも通り零号機のエントリープラグにシンクロしようとしてきた、零号機の魂そのものだったのではないだろうか。
 零号機の魂がナオコのものだったとしたら、狂気にゆがんだレイのイメージを持っているのも当然である。死ぬ前の晩にナオコが見たものは、不気味に笑うユイに似た少女、レイだったのだから。

 シンジは、ナオコが持つ、レイを殺してしまったという恐怖や、ユイに対する嫉妬などのネガティブな感情を零号機とシンクロすることで垣間見てしまったのではないだろうか。
 そして、零号機もまた、レイと適応してきた自らのパーソナルパターンから、そこにいるのは、レイに似た、レイではない誰かであることに気付いたのではないだろうか。皮肉なことに、そこにいたのはゲンドウとユイの息子、シンジだったのだ。
 混乱した零号機はシンジに過剰な反応を起こし、シンクロを始めていたシンジの心は、ここから出たいという心があふれ出した零号機の魂に侵食され、操縦すべき存在を失った零号機は暴走、制御室へ殴りかかったのかもしれない。
 その行動が、コントロールルームにいる特定の誰かへのものだったのかは分からないけれど、制御室を殴ったあと壁に向かっていったところを見ると、そこにいた誰かに向けてという感じではないように思う。
 また、前回の暴走の際、脚本では、『左手で自分の首をもごうとしている零号機』(オリジナル・#5-5) とあり、今回の暴走でも壁に頭を何回も叩き付けているあたり、自分の魂に触れようとする、受け入れられない他者を取り除こうという行動にも見える。他者との距離や拒絶といったものも、エヴァの重要なテーマの一つであるし。
 そんな零号機を、レイは微動だにせず見つめている。日頃から零号機とシンクロしているレイは、あるいは、零号機の魂が解放されたがっているのを感じていたのかもしれない。「死んでも代わりがいる」レイもまた、死をもってしても解放されることがないからだ(14話のアフレコ台本には、このシーンのレイが、『少し悲しげに見える』と書かれている)。ケンスケが、「綾波は自分の存在を希薄に感じている」と感想を持っているのは、そういうレイの心を感じ取っていたからかもしれない。
 一方でリツコは、「殴りたかったのは私」と感じている。この暴走事故にいたってリツコは、零号機の魂が誰のものであるかという疑問を直視しなければならなくなり、ゲンドウへの疑念がふくらんでいくことになる。

 と、思った。信用しちゃいけません。

 

■「シンクロとA10神経の関係」(第14話)

 異変が起きたのが「A10神経接続」を開始したときだったことは重要だと思う。
 第1話と重複するけれど、A10神経とは、『記憶や認知、運動の遂行等の高次な脳機能と、不安や恐れ、幸福感や快楽などの情動と関係する。また、親子や恋人同士の愛情に関しても重要な役割を果たすとも云われる』(5巻・DVD解説書【A10神経】)もので、『エヴァンゲリオンの操縦は、主に操縦者との脳神経結合により行われる』(同)ため、パイロットのA10神経がエヴァとつながった状態を指して「シンクロ」と呼ぶのだろう。
 『このレイのイメージは、零号機の「魂」を表すものではなく、零号機の中に蓄積されたレイの記憶、あるいは、レイの特性の記憶である。エヴァとパイロットとのシンクロは、心の交流、交感であり、当然、それは、必然的に、双方向性を持つ』(夢の続き・P.76)。

 

■「碇ユイという人について」(第15話)

 シンジの母ということを抜きにして、ユイという人はリツコやミサトからするとどういう存在なのだろうか。
 大学時代に冬月やゲンドウと知り合い、ゲンドウと結婚した人。ネルフの前身である人工進化研究所の一員で、初号機の実験に志願した人。消失した2004年当時の年齢は27歳(第16話)、生きていれば2015年現在で38歳前後。リツコの母ナオコとは面識があったが、ミサトの父「葛城博士」とも面識があったかというと微妙ではある。ただ、セカンドインパクトの前日までゲンドウも南極にいたということから、その筋で面識があった可能性はあるかもしれない。
 リツコからすれば母と共にネルフの土台を作った科学者だが、ミサトからするとリツコより関係性は薄いのかもしれない。ユイの事故があった2004年当時のリツコとミサトは18歳前後だろうか。二人とも学生であり当時のゲヒルンにはまだ入所していないが、生前に面識があったとしても特に何という話でもない。

 

■「ネルフ地下の巨人について」(第15話)

 自分がゲンドウ達に泳がされていることを知った上で、「まだいける」と真実を追う加持。
 後に判明するが、実際にはこれはアダムではなくリリスと呼ばれる存在。恐らく、端的に言ってしまえば、使徒の生みの親がアダム、人間(ヒト)の生みの親がリリス、ということだろうと思う。
 その点は今はとりあえず置いておくとして、巨人の姿を一目見たミサトは、まず「エヴァ?」と言う。それは恐らく、日頃から見慣れたエヴァと同じ巨人の姿から想像したのだろうと思う。脚本では、『「エヴァ3号機?でもあれはまだアメリカのハズ・・・」』という台詞 (オリジナル・#15-36)。
 しかし、本編ではすぐに自分の言葉を打ち消したあと、南極で見た「光の巨人」の記憶と共に、「第一使徒」「アダム」へと思い至る。
 リツコのゲンドウへの不信と同様に、ミサトもまたゲンドウ、そしてネルフそのものへの疑念を増していく。

 

■「第16話タイトル『死に至る病、そして』について」(第16話)

 今回のタイトルは「絶望、そして」とも置き換えられるということかもしれない。そして、ここで言う「絶望」とは、自分が嫌になり、自分自身から抜け出そうとすることであると。
 言葉にしてみると、これはそのまま、初号機が使徒を破って抜け出してくるラストシーンに直結しているような気がする。
 『第拾伍話に引き続き、この話では「母親」のイメージが随所に登場する。シンジが閉じ込められるエントリープラグは「子宮」の、使徒内部から初号機が脱出するシーンは「出産」のイメージだろうか』(オリジナル・#16-2)。うまくいかない自分を内罰的に責めて嫌い、そんな自分から抜け出そうとする、自分に絶望したシンジの気持ちを、母の胎内から生まれる子供のイメージで表現した、ということかもしれない(個人的には、卵の殻を破って生まれるイメージが近いような気がする)。
 ただ、そこで終わりではなく、タイトルは「そして」と続いている。シンジが自分に絶望した先には何があるのか、という話は、エヴァという物語が最終的にたどり着いた結末であり答えだと思う。
 生還したシンジが漏らす「ただ会いたかったんだ、もう一度」という言葉は、その答えを端的に表していたんじゃないだろうかと思う。

 

■「使徒とパイロットの接触」(第17話)

 前回のシンジの内的宇宙の描写が使徒からの接触(攻撃?)だったのかはわからないが、第22話でアスカは使徒から「精神汚染」という干渉を受けることから、使徒によっては人の心に接触する力を持つのは確かだろう(この時点では可能性に留まっているが)。
 委員会(?)は第12使徒が人の心に接触しようとしたと推測しているようであり、そして今までの使徒は「単独行動」であり行動の連続性は認められないが、今後の使徒には、「人間の精神、心に興味」を持つものが出現するかもしれないという可能性を示唆している。
 この、“使徒の連続性”については、『夢の続き』の第8章に詳しいので割愛。ただ、『ゲンドウやキールの恐怖心が具現化したもの』(P.218)というのは、確かに『ずるい』考えだとは思う。
 個人的には、本当に設定の変更が行われたのだとしたら、この問題に触れても答えは出ないと思うし、単純に、“第11使徒まではパイロットの精神との接触という事態はなかったけれど、初号機を取り込んだ第12使徒によって初めてそういうことが起き、今後現れる残りの使徒に、パイロットに接触する可能性を与える結果となった。その理由は分からないが、そういうことである”と納得しておくのがいいのではないかと。もっとシンプルに、“使徒の中には、パイロットの精神への接触という攻撃手段を持つものもいたのである”とか。ただ、「知恵を身につけ始めて」という台詞から考えると、前者の方がそれっぽいかもね。
 ゲンドウの言う「知恵」が“人を知ること”なら、使徒が人を知ってはまずいということかもしれない。それは、力になら力で対抗できるが、精神攻撃のようなものは脆いパイロットを狙い撃つようなもので、使徒に敗北する可能性が増えるということを意味するのではないだろうか。

 

■「米国第2支部のエヴァパイロット(故人)」(第17話)

 伊吹の台詞から、現地にもパイロットがいたのかもしれない。いや、いないとおかしいか。米国人エヴァパイロット・・・惜しい人を亡くした。顔も知らないけど。

 

■「葛城博士について(1)」(第17話)

 ミサトの父親である葛城博士が南極にいたのは、発見されて「アダム」と名付けられた「第1使徒」が、S2理論でしか証明できないものであり、その調査に行ったためだろう。そこでセカンドインパクトが起きた。
 セカンドインパクトもS2機関が原因の一つだったのかもしれない。エヴァを無限に動かせるほどの夢のようなエネルギーなら、解き放ったとき世界を吹き飛ばすことも容易ではないだろうか。そしてセカンドインパクトが発生したとき、被害を最小限に食い止めようとしたのは、ほかならぬS2理論の提唱者、葛城博士だったのかもしれない。ジェットアローンを最後まで止めようとしたミサト、その父親だと考えれば、あるいは、と思う。

 

■「ダミーシステムについて」(第17話)

 シンジとレイは互換試験に成功している。つまり、レイでも初号機とシンクロできる。そこで、レイのデータから作り出した擬似的な人格で、エヴァを欺こうするのがダミーシステムなのかもしれない。
 しかし、ダミーではない本物のパイロットの心がなければ、エヴァは暴走して破壊衝動の塊のようになる。それが分かっていて、「エヴァが動けばいい」と言うゲンドウは、エヴァは暴走させればいいと思っているようにさえ見える。そこには、自分たちが危険にさらされるという危機意識がないような気がする。もしかしたら、エヴァは、暴走すれば必ず使徒を襲う、と考えているのかもしれない。
 そう考えると、零号機の暴走時、ガラスで仕切られた制御室を殴ったのは、そこにいる誰かではなく、ガラスに映った自分を使徒と錯覚して攻撃したという可能性もあるかもしれない。ガラスが砕け散った後、自分自身に矛先が向いたのも、自分自身を殺そうとした、と考えると面白いかも。

 

■「トウジ選出の背景(1)」(第17話)

 「生理学的に」という表現の意味は分からないけど、表現が変わったということは、そういう意味ではなくなったということだろう。
 トウジが選ばれた理由については『夢の続き』に詳しいので割愛。分かりやすく書くと、

 至急コアの準備が必要 → パイロット候補者の中で、候補者の心とシンクロできる可能性を持ちながら、すぐに死んでも疑われない存在を持つ人間は誰か → 妹が入院中のトウジ

 という感じではないかと。

 

■「トウジ選出の背景(2)」(第17話)

 「候補者は集めて保護してある」というリツコの言葉にはミサトも普通に応えているのに、加持の「コード707」という言葉には「シンジ君の学校を?」と疑問を挟む。
 ミサトは、パイロット候補をまとめて保護していることは知っていたが、パイロットの選定は、エヴァとシンクロ可能という前提が必要な以上、「都合良く見つかる」ものではないと考えているのかもしれない。
 だが、実際は、「「コア」の準備」をすることで、エヴァとシンクロできる人間を、「都合良く」見つけることが可能だったのだろう。『初号機に使徒と同じコアがついていた事が明らかになる』(第19話・DVD内解説)のは第19話であり、エヴァにコアがあるのを見たミサトが、「あれは?」と驚いたような表情をしている点からも、コアの存在は、リツコら、ごく限られた人間しか知らないことだったのだろう。
 第19話で、「何故トウジなんですか?フォースチルドレンが」という質問にミサトは、「第4次選抜候補者は、全てあなたのクラスメイトだった」と答える。フォースチルドレンになる可能性はシンジのクラスメイト全員にあり、その人数分のコアも用意できるよう準備していたのかもしれない。

 

■「トウジが見た夢」(第19話)

 なぜトウジは、シンジの内的宇宙を見ることができたのだろうか。
 例えば、これがトウジの夢なら、シンジが父親に対して抱いている葛藤を理解しすぎている気がする。第16話で描かれた、シンジの内的宇宙の電車内と酷似していることから、これは、シンジの精神世界をトウジが垣間見ているのではないだろうか。
 普通の人間であるはずのトウジにそんなことができたのは、もしかしたら、トウジが使徒と接触したことに原因があるのかもしれない。
 3号機が使徒に乗っ取られた際、トウジは、第16話のシンジのように、使徒に取り込まれたと見ることもできる。トウジの場合は、さらに、プラグ内まで使徒に侵された結果、生きている使徒と直接接触した人間となり、その結果、他人の意識に接触する能力が発現した、と言われれば、そんなこともあるかなという気はする。
 そもそも、第13使徒は消滅したのだろうか。『EVA3号機の装甲内側及びエントリープラグ部分に見られた菌糸状の生体組織こそ、第13使徒の本体である』(第5巻・DVD解説書)のなら、トウジの体内に微量でも残っていたと見ることもできるのではないだろうか。
 その結果、半使徒化したトウジが、無意識にシンジの精神世界に触れたのが、この電車のシーンだった、とか。

 

■「ケンスケがトウジのパイロット選出を知ったのはいつか」(第19話)

 ケンスケがトウジの情報を知ったのはいつだろうか。
 シンジが知らなかった3号機の情報まで把握していた点を見る限りでも、ケンスケがネルフの情報にかなり通じていることが分かるが、第18話では、まだトウジが3号機パイロットになったことは知らなかったのではないだろうか。「トウジの奴かな」と予想してはいるけど、もし知っていたのなら、もう少し態度に変化があってもおかしくないと思うし、3号機のパイロットが決まっていることを知りながら、「自分をパイロットに」とは言わないと思う。
 松代で事故が起きたことはニュースなどで報道されたのだろう。第18話の追加台詞には、「報道管制は広報に話を付けてある。シナリオは俺あてに・・・」という台詞があるので、ネルフが作ったシナリオ通りに報道されたのかもしれない。そして、松代で3号機のテストが行われたことを知っていたケンスケが、どんな報道であれ、爆発事故は3号機によるものと推測するのは自然だと思う。
 その松代の事故当日にトウジは入院、それから3日間目を覚まさなかった。トウジが入院した病院はシンジと同室であったことから、本部の病院だろう。ヒカリの見舞いも「特別」に許可されたものだった。
 ケンスケは、そういった情報や、自分で収集した情報によって、トウジが3号機パイロットに選ばれたと確信したのではないだろうか。

 

■「レイの変化」(第19話)

 レイが初号機とシンクロできなくなった理由については、第14話同様、『夢の続き』の第三章に詳しいです。
 特に、『ふたりは、着実に、自我に目覚める道筋を歩んでいる』(P.108)、『このレイに生まれた自我を、初号機は、当然のごとく認識した。そして、それが、つい先ほど、初号機の中で、激情を発散させたシンジの自我とは、明らかに異なる自我であることに気づかぬはずがなかっただろう』(P.112)というところは重要かと。
 レイも自我を持つ、という可能性に最期に至るまで気付かなかったことが、劇場版でのゲンドウの顛末につながったのかもしれない。

 

■「初号機がダミーまで拒絶したのはなぜか」(第19話)

 レイとシンクロできなくなった初号機が、さらにダミーをも拒絶した理由を、『夢の続き』では二つ挙げている(P.113-115)。

※2019年4月追記:一つは、ダミーシステムがレイの最新データに上書きされていたために、レイと同様に拒絶したのではないか。もう一つは、一度「異物」とみなすと拒絶反応を起こすのではないか。また、『第拾八話では、初号機は、ダミーシステムで動いたが、これは、あくまでも「ダミーシステム」であって、「ダミープラグ」ではない。あの時、プラグの中にいたのは、ダミーではなく、シンジであった。それを考えると、あの時でさえ、仮に、「ダミープラグ」を使用していたら、すでに、初号機は動かなかった可能性も考えられる』(同)。

 

■「第19話について」

 派手な映像に目を奪われがちだけど、第1話~第4話との対比や、初号機に拒絶されたことで、レイにはっきりとした自我が生まれていることが分かった点、アスカの完全な敗北、そして、今まで逃げ続けていたシンジが、自らの意志でエヴァに乗る決意を見せるも、最後は初号機に取り込まれ、その初号機はS2機関を得るなど、劇場版まで続く今後のストーリーの基になる要素がたくさん含まれた回で、改めて言うまでもなく、この第19話はいろんな意味で『エヴァ』という作品にとって重要な回だったと思う。

 

■「セカンドインパクトについて」(第21話・ビデオフォーマット版)

 なぜかアフレコ台本にない台詞が多々あるなと思っていたんですけど、この南極のシーンを含む、いくつかの新作シーンは、『後にリリースされたビデオ版第弐拾壱話から第弐拾四話での追加シーンを先行して使用したもの』(TRUE2・DVD解説書)であり、また、同解説書によると「DEATH」のバージョンは3つ。1番目の「EVANGELION DEATH AND REBIRTH」、2番目の「DEATH(TRUE)AND REBIRTH」、そして3番目が「revival of EVANGELION」の「DEATH(TRUE)2」。
 最初の「DEATH」が公開されたのは、1997年(平成9年)3月15日。同年7月20日に発売された『フィルムブック(DEATH編)』には、「TRUE2」のアフレコ台本と同じ台詞が掲載されているため、南極シーンの第21話版アフレコ台本は、最初の「DEATH」で使われた台本より前に書かれた、変更が加えられていないものなのかもしれない。
 ここでは基本的に、「TRUE2」のアフレコ台本を完成されたものとして使っていきますが、変更前のアフレコ台本との違いを調べることも、それはそれで重要なことかもしれないので、以下に変更点を挙げると、

 ・「人体との接触実験」→「提供者との接触実験」

 ・ゲンドウたちが南極を発つ日が「12日」→「11日」

 ・南極の施設にもセントラルドグマが存在した点が追加。

 ・「距離」→「磁場」

 ・「大気の分解」→「構成原子のクウォーク単位での分解」

 ・『ガフの扉が開くと同時に』行う処理が、『熱冷却システムを回収』から「熱滅却処理を開始」に。台詞も無線からではなくなっている。

 ・「アンチA.T.フィールド」の存在が追加。

 ・「変換システム」の存在と、「S2機関と起爆装置のリンク」が追加。

 追加された点はともかく、変更されたものには触れないでおきますが、一点だけ、適当に調べたところクォークとは素粒子のことだそうで、つまり素粒子単位での分解ということで、これはつまり、冬月の言う「微生物に至るまで全生命の徹底した消滅」ということになるのではないかと。

 以下、セカンドインパクトについての最終的なまとめも兼ねるので、TRUE2版を元に考えます。

 無線、つまり地上からの台詞をつなげると、

 『A.T.フィールドが、全て開放されていきます!』

 『地上からも、歩行を確認!』

 『すでに変換システムがセットされています!』

 『S2機関と起爆装置がリンクされています。解除不能!』

 おそらく、地下の実験場と地上で別々の会話と相互の会話が混在しているんだと思う。ネルフと全く同じかどうかは分からないけれど、セントラルドグマという施設もあり、同じ構造なら、地下の実験場を地上から確認することはできたのかもしれない。
 「今度の11日」(映像の日付は8月15日なので9月11日)にゲンドウたちは南極を発つことになっていて、「来月の13日」(同じく9月13日)に「提供者との接触実験」を行う予定になっている。
 セカンドインパクトが起きたのは、「西暦2000年9月13日」(6巻・DVD解説書【セカンドインパクト】)であり、すべて2000年8月~9月のことだとして、

  8月15日   :前週にロンギヌスの槍を死海から陸揚げ

  9月11日   :ゲンドウら帰国

  9月13日以前 :ロンギヌスの槍を地下に送る前の何らかの処理

  9月13日   :地下で「提供者との接触実験」(ロンギヌスの槍を使用?) 

           同日、セカンドインパクト

 という感じだろうか。
 ロンギヌスの槍ってそもそも何だっけ・・・。7巻のDVD解説書には、『元々は南極に在ったようだ』としか書かれていないので、ちょっと考えてみると、まず時系列は、

 ・2000年に死海から陸揚げして、南極の地下で何らかの処理

 ・アダムとの接触実験に使用、セカンドインパクト起きる

 ・2015年(第12話)になって南極から回収

 ・第14話で、零号機がロンギヌスの槍で何らかの作業

 ・第22話で、零号機によって宇宙に投擲される

 2000年、2015年とも、回収したロンギヌスの槍に何かの処理をしているので、サードインパクトを起こすことが必要なゼーレは、セカンドインパクトを起こすのと同じ手順を踏んでいるのかもしれない。
 第22話で零号機がリリスから槍を抜いたとき、腹部の膨らみと下半身が現れたところを見ると、槍が復元を押しとどめていたようにも見えるし、槍によって押さえつけられていたものが元に戻っただけのようにも見える。
 また、槍が刺さっていたにも関わらず、リリスのA.T.フィールドに干渉したような描写は見られない。まるで、リリスにはA.T.フィールドが存在しないかのように。
 これはおそらく、リリスの魂はレイに宿っているためだろう。そのため、魂の容れ物に過ぎないレイにも心の壁(A.T.フィールド)が生まれ、肉体を維持できていたのかもしれない。

 『まごころを、君に』の中でゼーレの一人が、月から戻ってきたロンギヌスの槍を「オリジナル」と言っていることから、エヴァシリーズが持っていたのはコピーなのだろう。使徒やエヴァのA.T.フィールドを貫けるところをみると、単にA.T.フィールドを無効化する能力を持つ道具のようにも見える。
 A.T.フィールドとは、『「心の壁」であり、A.T.フィールドを失う事は、自分の形を失う事』(まごころを、君に・DVD解説書)であり、A.T.フィールドを失った生物は、L.C.L.となって溶けてしまう(まごころを、君に)。
 L.C.L.とは、『生命の源とも云うべきもの』(まごころを、君に・DVD解説書)であり、セカンドインパクト時にも、南極にいる全生命のA.T.フィールドを失わせる事態が起きた。
 仮に、ロンギヌスの槍がA.T.フィールドを無効化する能力を持っているとすれば、南極の実験で使われた理由は、アダムと、アダムに接触した人体(「提供者」)、その片方、または両方のA.T.フィールドを失わせ、融合させるためだったのかもしれない。

 ということを踏まえてセカンドインパクトを考えてみると、まず南極にS2理論でしか証明できない動力源(「S2機関」)を持つ物体を発見した。その物体を調査するため、「葛城調査隊」などの調査団が派遣された。
 9月13日の実験の目的は、「アダム」と名付けられた物体と、人体(「提供者」)を「接触」させることであり、そのためには両者の壁となっているA.T.フィールドを失わせる必要がある。それを可能にしたのがロンギヌスの槍であった。
 だが、ロンギヌスの槍によって接触したアダムと人体は、接触を通り越して「物理的融合」してしまう。慌てた科学者達はロンギヌスの槍を引き戻そうとしたが叶わず、「A.T.フィールドが全て解放」され、「アンチA.T.フィールド」が発生してしまう。
 これは、使徒がネルフ地下のリリスを目指した理由付けなのかもしれない。つまり、アダムと人体の接触が、この事態を発生させたのなら、リリスと使徒の接触でも、同様の事態は起こりうるということではないだろうか。また、第6使徒は、加持が持つ胎児状のアダムに接触するために洋上に現れたと思われる。このことから、アダムと使徒の接触でも事態は起こりうるということだろうし、そのことから、リリスと人体の接触でも同様のことが起こりうるのではないだろうか(これがゼーレの持っていた当初の補完計画だったのだろう)。

 『冬月は、人々がA.T.フィールドを失いL.C.L.と化していく事を「ガフの部屋が開く」と云った』(まごころを、君に・DVD解説書)。南極の生命のL.C.L.化、「微生物に至るまで全生命の徹底した消滅」(第21話)、セカンドインパクトが始まった。

 「構成原子のクウォーク単位での分解」まで起こし始めた、「アンチA.T.フィールド」の「被害を最小限に」食い止めるため、実験場では、「ガフの扉が開くと同時に熱滅却処理を開始」する。アンチA.T.フィールドによって肉体をL.C.L.に還元された生命は、アダムによって、その魂を、魂が帰るべき場所である「ガフの部屋」へ導かれる。そのため、「ガフの部屋」の機能を停止させれば、アダムは再び元の状態に戻ろうとし、その際、アダムに、「アンチA.T.フィールドに干渉するだけのエネルギー」が生まれるはずである。
 一方、地上では、何者かによって、『すでに変換システムがセット』されていることが確認され、さらに『S2機関と起爆装置がリンク』しており、地下では、「カウントダウン、進行中」であった。
 S2機関とはアダムそのものであり、アダムを制御できない以上、起爆装置も操作できず、リンクの解除もできない。
 「ガフの部屋」は「熱滅却処理」によって機能を失った。つまり魂の集合は行われず、元の状態に戻ろうとするアダムの力(S2機関)は、アンチA.T.フィールドへ干渉する。
 しかし、『S2機関と起爆装置がリンク』しており、S2機関の力は「変換システム」によって意図的に爆破エネルギーに換えられ、リンクした起爆装置によって大爆発が起きた。
 この爆発が、2015年現在、一般に知られている「セカンドインパクト」である。

 以上はかなり行き当たりばったりな発想であり、かなりの確率で当てにしてはいけません。爆破あたりはかなり怪しい。以下はさらに思いつくままに、かなり当て推量なところがあるので、それを踏まえて読んでください・・・。

 以上は、あくまで南極の科学者たちの視点であり、ゼーレからすると話は違ってくる。
 S2機関の調査が目的の、「真実を求めている」科学者たちと違い、ゼーレは裏死海文書によって、南極のアダムの正体と、アダムが覚醒することで何が起きるのかを知っていた。
 ゲンドウによって補完計画が提唱されるのは先の話であり、この時点では、ゼーレに補完計画があったわけではない。この時点でのゼーレの目的は、アダムの覚醒(セカンドインパクト)によって出現する使徒が、「十数年後に必ずサードインパクト」を起こすものとして、それを未然に防ぐことにある。「最後の悲劇を起こさないための組織、それがゼーレとゲヒルン」であった。
 しかし、ゲンドウから補完計画を提唱され、ゼーレの目的は変わった。
 裏死海文書に記された使徒を全て倒し、使徒によるサードインパクトの可能性を全て否定した上で、人体とリリスをロンギヌスの槍によって融合、南極のアダムと同様に、アンチA.T.フィールドを発生させる人為的なサードインパクトを起こし、リリスの「ガフの部屋」に全人類の魂を集め、「贖罪」という名の元に浄化(死滅)させようと画策するようになる。
 ただし、ゲンドウは真の目的をゼーレに隠したままである。

 2004年、ゲンドウが補完計画を提唱する前、ユイは初号機に取り込まれ亡き人となる。ユイは「自らエヴァに残った」(Air)。理由は、初号機を依り代とし、「できそこないの群体としてすでに行きづまった人類を、完全な単体としての生物へと人工進化させる」(同)ためである。この場合の補完は、人類の死滅を目的としたゼーレの補完ではなく、人類から進化した新生物(エヴァンゲリオン)が生き残る補完(新生)である。
 『まごころを、君に』の中で冬月と会話するユイは、エヴァを造る真の目的について、「エヴァは無限に生きていられます。その中に宿る、ヒトの心と共に」と語る。ユイは、人類が存在したということ、生きようとしていたことを残したかったのだろう。ゲンドウはその遺志を継ぐとともに、その補完(ヒトの魂の融合)の過程で、ユイと再会できるという可能性に生きるようになる。

 表向きのゼーレの補完計画と、ゲンドウが抱える裏の補完計画は、使徒を全て倒すというところでは共通している。
 決定的に違い、ゲンドウが許容できない要素は、ロンギヌスの槍なのだろう。ゼーレの補完計画(リリスとロンギヌスの槍によるサードインパクト)では、魂の補完によってユイと再会することができなくなるのかもしれない。ゲンドウがユイと再会できる方法は、「アダムとリリスの禁じられた融合だけ」(まごころを、君に)であるという。
 アダムからサルベージされた魂はカヲルだけが持つ。ゆえに、復元された胎児状のアダムは肉体だけであり、魂がないはずである。逆に、リリスのコピーである初号機に取り込まれたユイ、その初号機からサルベージされたレイには、リリスの魂はあるが、リリスの肉体はない。
 アダムの肉体だけで、その魂がない胎児状のアダムを、リリスの魂だけで、その肉体がないレイに接触させれば、リリスの魂を持つアダムが生まれるのもしれない。この「禁じられた」方法でしかユイと再会する方法がないというのなら、ゲンドウがレイを失うことを恐れた理由も分かる気がする。

 そんなゲンドウにとって、第22話はまさに「チャンス」だった。使徒を全て倒す前に、ロンギヌスの槍を宇宙へ遠ざけてしまえば、ゼーレに提唱した当初の補完計画を潰すことができる。そもそも、ゲンドウは使徒を全て倒せればそれでよく、そのためにゼーレを利用していたのだから。
 ロンギヌスの槍を失い、ゲンドウの裏切りに気づいたゼーレは、予定を繰り上げ、人工的な使徒を使うことによって、擬似的に人の手に為る補完、渚カヲルによるサードインパクトを画策した。
 これは、ゼーレにとっては、あくまで成功しても失敗してもいい計画であった。成功すれば、ゲンドウの意志が混ざらない補完(死滅)を達成することができる。

 結果、失敗したゼーレは次の手段に移った。
 それは、おそらくゼーレから日本政府に、「人類全てを消し去るサードインパクトの誘発」(Air)がネルフの目的であるという情報を流し、戦略自衛隊によるネルフの占拠、及び初号機の奪取を行わせ、その後、手に入れた「初号機をヨリシロ」(まごころを、君に)とし、エヴァシリーズのS2機関を使い、サードインパクトを起こそうとしたのである。
 ゼーレの目的は、あくまで、アンチA.T.フィールドを発生させることで全人類の形を失わせ、魂を一点に集めることである。ゼーレにとっては、それに類することができればそれでよかったのだろう。エヴァシリーズはコピーであれロンギヌスの槍を持つ。弐号機のA.T.フィールドを破ったことから、オリジナルのロンギヌスの槍と同等の能力を持つことは確かである。
 ロンギヌスの槍のコピーを使い、エヴァシリーズの「S2機関を解放」(まごころを、君に)、アンチA.T.フィールドを発生させる。また、シンジによって、宇宙からオリジナルのロンギヌスの槍が引き戻され、さらに、アダムを体内に宿し、リリスへと還ったレイもまた、シンジの元へ向かう。
 当初のゼーレの計画に必要だったオリジナルのロンギヌスの槍と、リリスまでもシンジの元へ集まり、結果的に、ゼーレが求めた補完(サードインパクト)は起こされた。

 究極的なゼーレの目的は、サードインパクトによる人類の死滅という贖罪であり、そこに余計な意志は不要だった。
 ゲンドウの目的は、アダムと同化、リリスと融合することで、全人類の欠けた心を補い合い、新たな生命へ人工進化させる補完(新生)を起こすことだった。それはユイの遺志であり、ゲンドウは、その過程においてユイとの再会を求めた。
 これが、ゼーレとゲンドウの補完をめぐる違いだったのだろう。ゼーレにとっては、これから滅ぼそうとしている人類が、進化して生き残っては何の意味もなく、それがゲンドウ一人の意志によるものなら、なおさら許容できないことだったのである。

 

■「セカンドインパクトについて(補足)」(「NEON GENESIS EVANGELION 01 TEST-TYPE」オープニング映像)

 ここで、リニューアル版DVDのリリース前に発売された「01 TEST-TYPE」に触れておくと、このDVDにはオープニングのフルサイズ版が収録されている。その中の不鮮明な映像部分を書き出すと、

(中略)

 『発掘された巨人』というのは、南極で発見されたアダムのことだろう。その次に映るのは、下半身がつながった二体の巨人である。画面手前の巨人の顔のアップが映るが、はっきりとは見えない。
 手前の巨人は十字架に左手を張りつけられているように見え、右手は肘で折れ曲がり宙を向いているように見える。奥の巨人は両手が自由になっており、胸に空洞が開いている。手前の巨人に比べ、奥の巨人は人工的な印象を受ける。胸の空洞も、きれいな四角い穴である。
 発掘途中の映像では、巨人には太ももまで映っているが、つながっている場面では、腹の辺りから、束ねられたヒモ状になっている。発掘後に下半身を処理し、人工の巨人とつなげてコピーを作っている場面なのかもしれない。
 次の、三人の老人が立っている映像の後に、セカンドインパクト時の映像が挟まれる。三人がゼーレのメンバーで、セカンドインパクトを起こした者たちであるという示唆なのかもしれない。

 そして、ゲンドウとナオコの映像が挟まれた後、何かの実験を行おうとしているような場面が映る。その次の映像では、幼いシンジが見下ろしているため、この場面はユイの実験シーンであり、それを見ているシンジの視点ではないだろうか。
 そして再び、胸に穴の開いた巨人が映る。何かをしているようにも、何かが起きているようにも見える。
 これらの映像が時系列で並んでいるとすれば、この巨人は、南極のアダムとつながっていたものとは別のものなのかもしれない。なぜなら、南極ではセカンドインパクトが起き、アダムは卵にまで還元されたようだが、つながっていた方の巨人(コピー)は失われていると思われるからである。ただ、その際のデータはゲンドウによって引き上げられており、それを元にエヴァは作られているのかもしれない。
 しかし、初号機だけはアダムのコピーではなく、リリスのコピーである。もし仮に、リリスはジオフロント(黒き月)に埋まっていたのだとすれば、それを発掘し、南極のアダムと同様にコピーをとったということかもしれない。そのコピーが、ユイの実験と思われるシーンに映る、胸に穴の開いた巨人であり、それが後の初号機となったのではないだろうか。

 

■「葛城博士について(2)」(第21話・ビデオフォーマット版)

 両親の離婚後、ミサトがどちらと一緒に暮らしていたのかは分からない。父が養育権を取って育てていたのかもしれないし、父を憎んでさえいたというミサトは母についていったのかもしれない。
 どちらにしても、そんな彼女を、父である葛城博士は南極に連れて行った。それはなぜかと考えるに、自分の仕事を娘に見てもらいたいという父親としての願いだったのではないだろうか。
 ミサトが、「自分の研究、夢の中に生きる人だった」と語るぐらいの仕事人間である博士は、娘に自分の仕事を知ってもらいたかったのではなかろうかと。
 その点、シンジの母親であるユイもまた、自ら被験者となって臨む実験に、シンジを立ち合せたことに似ていると思う。どちらも人類にとって重要な仕事であったという点でも。
 そして、ミサトとシンジは共に、目の前で片親を失うという経験をしている。この共通点は重要だと思う。ミサトはもしかしたら、失語症にさえ陥った過去の自分を、シンジの中に見出しているのかもしれない。だからこそミサトはシンジを励まし、ことさらに大人を演じ、最後まで導こうとしたのかもしれない。
 それは子供の頃の自分を救い、父の呪縛から逃れようとする気持ちの裏返しなのかも。

 

■「赤木ナオコについて」(第21話・ビデオフォーマット版)

 思えば、このナオコの台詞からユイのシーンに移るというのも、ナオコがユイに、母親としての面で接していた部分もあったととれるような気がする。後のシーンから、どうしてもナオコの女としての部分が強調されてしまうけれど。
 ナオコは、年齢的には冬月の世代だろう。母という面でも、ユイよりも長い期間、子供を育ててきている。
 ゲンドウとナオコがいつ知り合ったのかは分からない。もしかしたら、ユイとナオコが先に知り合っていたのかもしれない。どちらにしても、ほぼ同時期に3人は知り合ったのではないだろうか。
 そして、この時期は、ユイがシンジを生んでから2、3年しか経っていない頃である。子育ての面でナオコがユイを助けるようなことがあってもいいんじゃないかなと。無理があるか・・・。そういえば、リツコの父親ってどんな人だったのか・・・。

 

■「ユイが初号機に取り込まれるという事態は予測できたのか」(第21話・ビデオフォーマット版)

※2019年4月追記:この項に関しては煮え切らない部分があるため、特に鵜呑みにしてはいけません。

 冬月の、「この一週間どこへ行っていた」という台詞は、映像の流れから、事故後一週間と読めるけれど、別に事故後すぐととらなくても構わないような気がする。ただ、6巻のDVDパッケージ裏には、『実験中のユイの物理的消失から1週間後、ゲンドウの口から人類補完計画の発動が告げられた』とあるので、事故から一週間後なのだろう。
 『空白の時間は模糊として定かではないが、帰還したゲンドウは冬月に「人類補完計画」と「アダム再生計画」の推奨を告げる』(8巻・DVD解説書【年表】)。『アダム再生計画』のことは映像では触れていないはずだけど、脚本には、「E計画とは別に、オリジナルであるアダムの再生をも推し進める」「アダム計画だな」「そしてもう一つ、かつて誰もがなし得なかった神への道だ」(オリジナル・#21-28)というゲンドウと冬月の台詞があるので、これのことを指しているのだと思う。脚本にしかないことに触れているのはどうなのかと思うけれど、第14話ですでに「アダム計画」という単語が出てきているので、このアダム計画も、人類補完計画と同時に提唱されたと考えてもいいと思う。「オリジナルであるアダム」というのは、おそらく胎児状のアダムのことではないだろうか。

 ユイを失ったゲンドウは、全人類の魂を補い合う補完計画によって、消失したユイと再会しようと決断する。そして、そのために必要なアダム(南極にいたオリジナルの巨人)の再生計画も始動させる。
 ただ、ゲンドウがユイと再会するためには、もう一つ重要な要素が必要である。それが、「綾波レイ」だ。彼女なくして、ゲンドウの計画は進まないはずなのだが、それでは、レイはいつ生まれたのだろうか。
 映像では、「2005年」のナオコが回想する形で「2004年」の事故が描かれ、その次は「2008年」になっている。そして、初代レイが初めて映像に登場するのは「2010年」である。第21話のアフレコ台本には、『5才のレイ(7才くらいに見える)』と書かれている。2010年に5才ならば、生まれたのは2005年頃ということになる。2005年頃ということは、2004年のユイの事故の年か、その翌年あたりということで、おそらく、その頃にユイのサルベージが行われたのではないだろうか。

 ただ、エヴァに取り込まれた人間のサルベージには相当な時間がかかるはずである。第20話でシンジをサルベージする計画では、「10年前に実験済み」のデータを使ったリツコでさえ、準備に「一か月」もかかっており、前例のない当時に至ってはもっとかかったと考えていいと思う。「10年前」の実験とは、ユイのサルベージのことだと思われるが、ゲンドウが不在となっていた事故後の一週間以内にサルベージを行うことは、時間的に無理があるのではないだろうか。

 ということで、流れを整理するとこうなる。

  ①ユイが初号機に取り込まれる(2004年(第21話))

  ②ゲンドウからゼーレ(キール)へ人類補完計画(とアダム再生計画)の提唱(①から一週間以内)

  ③初号機からユイのサルベージ実施、および失敗(=綾波レイの誕生)(2004~2005年?)

 すっきりしない点は、上にも書いたけど、レイはゲンドウの計画に必要なはずなのに、そのレイを得る前に、ゲンドウが補完計画を提唱しているというところで、本来なら、①→③→②という流れではないのかなと。つまり、ユイの事故が起き、そのサルベージを実施して失敗するもレイを得て、そのレイを使えばユイと再会できるという可能性を見つけ、ゼーレへ補完計画を提唱した、という感じ。でも、こうではないんだろうなと。

 なので、①→②→③という順番を前提に考えてみると、「ユイと再び逢うにはこれしかない。アダムとリリスの禁じられた融合だけだ」(まこごろを、君に)という台詞の通り、それ以外の方法ではゲンドウはユイと再会できないはずである。そのことを、この時点ですでに知っていたであろうゲンドウは、②の段階でゼーレに、オリジナルのアダムの再生(アダム計画)も提唱した。
 そもそも、サルベージでユイを取り戻せるのなら、補完計画などという回りくどいことをする必要はないはず。サルベージは最初から失敗することが分かっていた上で、ユイの身体的コピーを得る目的で行い、それをリリスとアダムの橋渡しとして使うことで、ユイとの再会を目指した、とか。ここはちょっとな・・・。事故後一週間以内にサルベージをしてレイが生まれたのを見たゲンドウが補完計画を提唱した、というのなら一番わかりやすいんだけど。一文で収まるぐらいに。

 それはともかくとして、冬月にとってのレイは、ユイの死亡から生まれ、ゲンドウが補完計画を進める原因となった「絶望の産物」(第23話)であるのに対して、ゲンドウにとってレイは、初号機(=ユイ)から生まれ、肉体がユイそのものの人間であり、補完によってユイと再会するための「希望の依り代」(同)であるのだろう。
 ゲンドウが冬月に補完計画を進めると語ったとき、冬月は補完計画のことを「あれ」と言った。つまり、補完計画自体は以前から存在し、冬月もどういうものかは知っていたということだろう。
 そして、冬月も、ゲンドウが補完計画の先にユイとの再会を目指していると知り、レイを「絶望」と言いつつも、ユイと再会できることに意味を見いだし、ゲンドウの補完計画を手助けすることになったのかもしれない。
 そして、冬月がユイとの会話の中で、「君の考えに賛同する。ゼーレではないよ」と語っている通り、この時点ですでに、ユイとゼーレには目指すべきものや考えの違いがあったということだろう。冬月はユイの考えを理解し、ユイのためにゲヒルンに入ったのかもしれない。
 また、冬月は元来からゼーレを快く思っていない。そんな彼にとって、ゼーレの計画の裏をかくという意味で、ゲンドウの計画に賛同する意味もあったのではないだろうか。

 本題に戻って、実験の当事者たちの中で事故が起こることを知っていた人間はいたのだろうか。
 冬月は、ユイが「自らエヴァに残った」(air)と語っているけれども、私は、ユイが、その危険は知っていたとしても、自ら取り込まれることを前提で被験者になったわけではないと思う。なぜなら、ユイは、わざわざ実験場にシンジを呼んだ上に、「この子には明るい未来を見せておきたい」と言った。シンジにとって母親の消える姿が「明るい未来」に見えるとは思えないし、母親としてのユイが、息子のシンジにそんな冷酷なことをするとも思えない。
 「自らエヴァに残った」という冬月の言葉は、シンジのサルベージの際に「帰りたくないの?」(第20話)とリツコが感じたのと同様、ユイのサルベージ失敗を、ユイがサルベージを拒否したと冬月がとらえた結果の言葉ではないかと思う。

 また、冬月はユイに、「だからと云って、君が被験者になることもあるまい」と語っており、これは、事故が起きた実験の被験者はユイでなくてもよかったということだと思う。そこにユイの自己犠牲の意志を見ることもできるけれど、上記の通り、ユイが自ら犠牲になるつもりで志願したとは私には思えない。
 そして、冬月は、ユイの実験参加を止めようとしているぐらいで、事故が起こると分かっていたのなら、尚更、絶対にユイを参加させたりはしなかっただろう。
 では、ゲンドウはどうだったか。もし仮にゲンドウが事故の起こることを知っていたというのなら、ゲンドウの身近にいたナオコに、「この日を境に碇所長は変わった」という台詞を言わせたりはしないと思う。受け入れがたい事故だったために、ゲンドウは変わってしまったのだ。
 つまり、事故の危険を知りつつも、「すべては流れのままに」と志願したユイ、ユイのサルベージ失敗から生まれたレイを「絶望の産物」と呼ぶ冬月、ユイのコピーとして生まれたレイを使ってまで、ユイと再会しようとしたゲンドウ。この3人が3人とも、何らかの事故を想定してはいても、ユイ自身が初号機に取り込まれるとは思っていなかったのではないだろうか、というのが結論なんだけど、どうでしょうかね。

 あと、安っぽい考えとして、ナオコが人為的に事故を起こしたっていう可能性もあるかもしれない。「妙に冷静な目でシンジを見ている赤木」(21話・アフレコ台本)とあるし、「私の・・・願いそのままに」という言葉の「願い」とは、ゲンドウを手に入れるため、ユイに消えてほしいという意味そのものだろうし、実際、ユイの面影を持つレイを絞殺してしまうという事態まで起こしているので、そういう可能性もあるかな、という感じではあるんだけど。それを知ったゲンドウはユイの復讐のため、ナオコの魂を零号機に閉じ込める。そんな復讐・・・劇・・・

 

■「アスカのインナースペースでの葛藤(追加シーン)」(第22話・ビデオフォーマット版)

 アスカの気持ちを考える上では、作中で最も重要なシーンかもしれない。

 

■「第23話サブタイトルの変更について』(第23話・ビデオフォーマット版)

 変更前のサブタイトルから、第16話『死に至る病、そして』と対になる話なのかもしれない。第16話のイメージが胎内とか出産というものなら、今回は、『子宮を司る天使』の名を冠する使徒が登場する(使徒については後述)という点で、共通する女性特有のイメージがあり、新作カットでは、使徒を押さえ込んだ零号機の腹が妊婦のように膨らむ描写も追加されている。
 第16話の考察で、「死に至る病」とは「絶望」であり、「絶望」とは、自分が嫌になって自分自身から抜け出そうとすること、というようなことを書いた。第16話は、絶望したシンジがその先にどんな選択をするのかという話であり、「ただ会いたかったんだ、もう一度」という理由で生還することとなった。
 「生還」という点が重要なのかもしれない。今回、レイは自爆という「死」を選ぶ。絶望し「そして」生きることを選んだシンジに対して、希望し「そして」死ぬことを選んだレイ、ということかもしれない。
 では、レイにとっての希望とはなんだったのか。当初のレイは自己を持たず、「私には他に何もない」(第6話)と語るような少女だった。それが確固たる自己を得る存在となり、初号機とのシンクロもできなくなり、最終的にゲンドウを裏切るという道を選ぶ(この点に関しては「夢の続き」の第3章)。「希望」というものを持つこと自体が、レイが自己を持ったという証明なのかもしれない。自ら死を選ぶということ、それは他の誰でもない、レイ自身が選んだ選択なのだから。

『彼女は、心を、体を浸食されながらも、自我を失うことはなかった。しかし、使徒からシンジを守るため、レイは自らの死を希望する』(第23話・DVD版予告)。

 ただ、なんとなく、変更前のタイトルに深い意味はなかったんじゃないかなとも思う。そもそも変更されたタイトルなので。「死に至る病」に対して「希望に続く病」という言葉を考えたんじゃなかろうかと。シンジは生き残り、レイは死ぬ。ただそれだけの対比という意味だったのかもしれない。

 

■「レイの涙の意味」(第23話・ビデオフォーマット版)

 メタモがメタモルフォーゼのことなら、意味は変形・変質らしい(辞書)。
 新しく追加した映像という点で、DNAを思わせる形状の使徒は、遺伝子情報を持っていたという解釈だった、という話だと思う。零号機が今までの使徒の遺伝子情報を持っていたというのはちょっと考えにくいような。
 個人的には、レイが持っていた今までの使徒の記憶を、零号機と同化した使徒が変形して形にしたんじゃなかろうかと。使徒の形質が不定というのは、何かに触れることで、その対象が持つ記憶を自ら変形して形にするような性質があるということなんじゃないかなと思う。
 そして、コアがつぶれることでレイが死んだとき、当然レイの記憶もなくなる。その瞬間、残っていたのは使徒と同化した零号機であり、使徒が記憶を形にする性質を持っていたとしたら、最終的に零号機の魂の記憶を形にしたのではないだろうかと。その結果がコアの中に残っていたものだったのかもしれない。

 レイが涙を流したのは、第22話のアスカ同様、使徒によって自身の心と向き合うことになったからだろう。アスカが直視することになったのは、『誰よりも愛情を欲してきた脆弱な心』(第22話・DVDパッケージ裏)だったのに対し、レイの奥底にあったものは、寂しく、「悲しみに満ち満ちている」心だった。
 『まごころを、君に』でリリスとなったレイは、人々の魂が補完されていく中で、「孤独がヒトの心を埋めていくのね」と語る。「孤独」ゆえに、心の中で他者を求めていたという点では、アスカもレイも、同じなのかもしれない。あるいは、他の全ての人類も。

 

■「零号機の潰れたコアに残されたもの」(第23話・ビデオフォーマット版)

『リツコと一緒にいる技術局要員の声から察するに、予想もしなかった様な何かがあったと思われる(中略)画面が暗くて見えづらいが、リツコ達がエントリープラグを覗き込むCutで、画面手前の炭化した人の手が見える。綾波レイのものだろう』(第23話・DVD内解説)。

 エントリープラグの中に二人は何を見たのか、という話。
 色々解釈はあると思うけど、個人的には零号機に封じ込められているナオコの魂が具象化していた、という説が一番好みというか面白い解釈だと思います。「赤木博士」という呼びかけについても、リツコではなくエントリープラグの中へ向けた言葉だったとすれば、という感じで。後の写真を見るシーンもあるし・・・この辺もまた『夢の続き』を。
 ただ、その考えの根拠の一つと言えそうな、『中を見て、目を背けるリツコ』『その場から逃げるように去って行く』(オリジナル・#23-19)という脚本の言葉は、ナオコを見て逃げるように、ともとれるし、上記のアフレコ台本の、『リツコも泣いているのか』という言葉から、レイの死体を見て逃げるように、とも取れるのではないかと。
 リツコはレイのことを、「いい子よ、とても」(第5話)と語っているし、ダミーとかゲンドウのことを除けば、特にレイ自身を嫌っていたというわけではないんじゃなかろうかと。

 「このことは極秘とします」という言葉について。
 あえて、炭化したエントリープラグの中ではレイが死んでいるだけだった、という解釈を考えてみると、極秘にする理由は何か。ミサトやシンジら皆が「レイは死んだ」という認識を持っていたはずなのに。
 考えられるのは、ゼーレにレイの死を知られてはならない、ということかもしれない。後のシーンでゼーレは、生還した(とされる)レイの尋問を行おうとしている。ゼーレは、レイの肉体にコピーがあるということを知らないのではないだろうか。ゲンドウや冬月が、ゼーレから送られてきたカヲルが、レイと似た存在であると知らされていなかったように。
 そう考えると、リツコの台詞は、「レイが死んでいることは(ゼーレに知られないために)極秘とします」と言い換えることができるかもしれない。ゲンドウに、レイの正体をゼーレから隠すよう指示されていたということも考えられる。
 どちらにせよ、プラグ内に炭化した手が映っているということは、死体はあったということだと思う。

 

■「リツコの言う『神様』とは」(第23話・ビデオフォーマット版)

 南極で見つけた巨人(S2理論でしか証明できない動力源を持った物体)をゲヒルンではアダムと呼んでいた。それならば、リツコの言う拾った「神様」とはアダムのことだろうという話なんだけど、リツコの言葉では、「神様を自分たちで復活させようとした」ものがアダムであるという。
 つまり、ここでリツコの言う「アダム」とは、南極のそれを指しているのではなく、あくまで比喩で言っているだけなのかもしれない。その比喩とは、『神がアダムを作り、アダムのあばら骨からイヴ(エバ)という女を作った』という旧約聖書の話で、それになぞらえて語っているのではないだろうかと。
 以下に置き換えてみると、

 人類は、南極で、人工進化の可能性という「神様」がいるのを見つけた。それを人は喜んで手に入れようとしたが、消えてしまった。今度は、消えた「神様」を人間の手で復元しようとした。それが「アダム再生計画。通称E計画」(第21話)。その結果、人が作り出した「人間」、それが「人造人間エヴァンゲリオン」である。

 つまり、「エヴァンゲリオン」とは「神様」のコピーであり、その最初の実験機が、冬月の言う「神のプロトタイプ」(第21話)であったということかもしれない。ここで言う『人工進化の可能性』は、『人類補完の可能性』と置き換えてもいいかもしれない。

 

■「エヴァのコアと、人間の魂の関係」(第23話・ビデオフォーマット版)

※2019年4月追記:この点に関しては『夢の続き』第四章に詳しいので省略します。北村説から自分なりに仮説を立てたりもしましたが、特に「零号機のコア=ナオコの魂」説は難しいんですよね・・・。だからこそ、考え甲斐のあるポイントだとは思います。

 

■「カヲルに与えられた使命、託された願いとは何か」(第24話・ビデオフォーマット版)

 カヲルをネルフへ差し向けたのは、サードインパクトを起こすためだった。これは『作品紹介』の『air』の欄に、『使徒タブリスによる人為的なサードインパクトに失敗したゼーレ』と書かれているので、ゼーレの言う「我らの願い」とは、サードインパクトを起こしてほしい、ということだったのだろうと思う。
 第21話に追加されたセカンドインパクト時の南極の映像で、『アダムに遺伝子をダイブさせていた事』(DEATH(TRUE)2・DVD解説書)が明らかになっている。第21話でも触れたことだけれど、アダムと人体の接触でセカンドインパクトが起きたのなら、リリスと使徒の接触でサードインパクトが起こる可能性はあるのではないだろうか。また、第6使徒が胎児状のアダムを求めて現れたとすれば、使徒と胎児状のアダムの接触でも、やはりサードインパクトは起こり得るのかもしれない。
 つまり、カヲルは、地下のリリスでも、ゲンドウが自らに取り入れた胎児状のアダムでも、どちらとの接触でもサードインパクトを起こすことが可能だったのではないだろうか。
 ただ、カヲルはリリスをアダムだと認識しており、アダムと接触するために地下へと向かった。カヲルの中では、地下の「アダム」も、ゲンドウが持つ胎児状のアダムも、再生されたアダムの肉体にすぎないと考えていたのではないだろうか。
 つまり、カヲルにとっても、そしてゼーレにとっても、どちらに向かっても結果は同じと思っていたのかもしれない。
 では、なぜゲンドウの元へ向かわず、地下へと向かったのか。これは、過去の使徒と同様に地下へと向かっただけのことかもしれないし、「彼も僕と同じか」というカヲルの台詞から、ゼーレよりも自分に近い存在となっているゲンドウへの同情のようなものもあったのかもしれないし、シンジへの好意から、その父親との接触はしなかったのかもしれない。

 

■「ゼーレの補完計画について」(第24話・ビデオフォーマット版)

 当初のゼーレの予定は、最後の使徒が来るまで待ち、それを倒した後、リリスとロンギヌスの槍を使ってサードインパクトを起こし、人類を補完するという流れだったのだろうと思う。それが、ロンギヌスの槍の宇宙への投擲によって変更を余儀なくされる。
 では、「予定を一つ繰り上げるつもりだ。我々の手で」とはどういうことか。
 ゼーレとしては、どうしてもゲンドウ主導の補完計画を阻止し、ゼーレ主導の補完計画を実行したいのだろう。その主導権を握るためには、ゲンドウが補完計画を発動する前に先手を打たなければならない。
 この時点での予定を大まかに分ければ、「最後の使徒を倒す」「サードインパクト」「人類の補完」という三段階だろうと思う。このうちゼーレは、「最後の使徒を倒す」を繰り上げ、即サードインパクトを引き起こそうとしたのではないだろうか。

 そもそも、なぜ使徒を倒さないといけないのか。それは、強力な外敵である使徒によってサードインパクトを起こされる可能性があり、それはゼーレが目指す人類の補完へつながるサードインパクトではないためである。使徒によるサードインパクトの可能性を全て潰した上で、人間の手によるサードインパクトを実行し、人類を補完する。これがゼーレの考えるシナリオであり、望みなのではないか。
 予測不能な使徒ではなく、ゼーレ自らが、制御可能な“最後の使徒”を用意し、それをネルフに倒させるのではなく、そのままリリス(またはゲンドウと同化している胎児状のアダム)に到達させて、サードインパクトを起こしてしまおう、というのが、カヲルを送り込んだゼーレの筋書きなのかもしれない。そうすることで、ゲンドウの意志が介入しない、ゼーレ主導の補完という名目が立つだろう。
 また、『まごころを、君に』でゼーレは、「初号機をヨリシロ」として補完を実行したが、カヲルを送り込んだ段階で、すでに、初号機を補完の道具にしようと考えていたのかもしれない。「初号機による遂行を願う」とは、そういう意味ではないだろうか。

 

■「地下の巨人を前に、カヲルは何に気付いたのか」(第24話・ビデオフォーマット版)

 アダムではなくリリスであったということもそうだろうけど、その先にある「希望」を見たんじゃないかなと。追加されたゼーレとカヲルの会話シーンで、「希望」と言う言葉に、カヲルは冷笑のようなものを浮かべる。多分、ゼーレの言う「希望」というものが、絶望した末に人類を巻き込んで自殺するようなものであり、それが「希望」だというゼーレに皮肉な笑みを浮かべたんじゃないかと。
 それに対して、ここにあるアダムが、実はリリスであることを知り、ゲンドウの中にアダムがあるという情報から、ゲンドウはアダムとリリスの融合による人類の人工進化を画策していると気づいて、そこにヒトの未来という、ゼーレとは違った「希望」を見たのではないかと。そして、自由意思を司る天使の名を持つ使徒は、このまま生き続けるのか、それとも死ぬのか、その選択を、自分が好きな少年に託したのではないだろうか。

 脚本、アフレコ台本共に表記されている『核自爆ユニット』って何だろうと思ったけど、壁に自爆ユニットが埋め込まれているってことかもしれない。つまりネルフの自爆には核兵器を使うってことなのか・・・。

 

■「カヲルと弐号機の関係」(第24話・ビデオフォーマット版)

 「彼女と生き続けた」というのは、カヲルの言葉によれば弐号機はアダムから造られたエヴァであり、カヲルと同じ体でできている。だから、サードインパクトを起こしたらアダムとカヲルと弐号機は同化してしまうという意味だろうか。
 カヲルの言葉によると、弐号機を止めておかないと、弐号機と生き続けることになったかもしれないという。カヲルが弐号機を連れていったことについて、冬月は、「融合を果たすつもりなのか」と考え、ゲンドウは「破滅を導く為」と考えたようだ。
 カヲルと弐号機が融合するということは、つまり、使徒とエヴァが融合するということで、そういう事態なら今までにも何度かあった。冬月は、その延長で、カヲルもエヴァとの物理的融合を狙っているのではないかと考えたのかもしれない。それとは別の可能性として、ゲンドウは「破滅」という言葉を口にする。破滅という言葉から思い浮かぶのは、やはりサードインパクトだろうか。弐号機を依り代として補完を発動しようとしていると考えたのかもしれない。ここら辺はちょっと曖昧かな・・・。

 

■「テレビ版第25話、最終話考察あとがき」

 最初に見たのは、もう14年以上前になりますか。数字にすると若干引くというか・・・。でもテレビ版の最終話は好きでしたよ。少なくとも、こんなもの見たことなかったし。
 実は「考察を書くにあたって」にも書きましたが、テレビ版の最終2話はスルーして、旧劇場版に進もうと思っていました。それがエヴァという映像を理解する上ではわかりやすい道筋だと思うので。
 それをやめ、テレビ版の最終話に進んだのは、上から2番目の引用文の『第25話「Air」から第26話「まごころを、君に」に続く物語では、彼は自分のシナリオを遂行する事ができなかった。彼の願いが実現したのが第弐拾伍話、最終話なのかもしれない。』という部分、それから最後の引用文の『足元に青い地球が広がる。だが、その地球に大陸は無く、巨大な珊瑚礁に覆われている。これは補完計画によって変貌してしまった地球であるようだ。』という部分を読み、これもまた補完の結末であったのだ、それもゲンドウがユイとの再会を目指し、そして成し遂げた世界なのだ、と気づいたからでした。私は、やっぱりゲンドウという人は一途は人間だった思います。その願いを叶えた結末を嫌いにはなれません。こういう解釈ができるというのもエヴァの魅力だと思いますので。

 さて、これで長々続けてきた考察は終わりです。別のブログで始めたこの企画、確かエヴァ10周年の頃に始めたはずだから、もう4年以上・・・途中で放り投げた時期もあったけど、やっと終わらせることができたという気がしています。
 実際、私が書いてきたようなことはネットで検索すればいくらでも見つかると思います。それも私よりも精密な内容で。では、なぜこんなことをしてきたかというと、もちろんエヴァという作品が思い出に残る大好きなアニメだというのが一番の理由です。どこで書いたか忘れましたが、まさに14歳という大切な時期にぶつかってしまったせいで忘れられない作品となりました。まぁ私のことはいいとして・・・エヴァっていうのは色々解釈できる作品で「あぁ、こういうことかもしれない」と考えるのが楽しくて、自分が考える解釈のようなものを形に残しておきたかった、という気持ちもありましたし、エヴァという作品はそれに応えてくれるだけの世界を持っていると思います。また、そういうものに巡り会えることは幸せなことだと思います。読みにくい文章で的外れなことばっかり書いてきたとは思いますが、楽しんでいただければ幸いでございますよ。

 それでは、ここまでご覧いただきありがとうございました。旧シリーズへの理解が深まる一助になれば嬉しい限りです。
(なお旧劇場版に関しては全く未定です。なぜなら疲れたから。全部手打ちだしね・・・。一つの作品を追いかけるって大変なことだよね)

※2019年4月追記:この考察で一旦終了後、旧劇場版の考察もしてほしいというありがたいコメントを頂き、私自身も最後までやりきりたいという思いもあって、それまでのすべての記事を見直し後、旧劇場版の考察も行いました(以下)。

 

■「日向らネルフオペレーターにとっての補完計画とは」(Air/まごころを、君に)

 日向たちは補完計画をどのように捉えていたのだろうか。
 そもそもネルフとは、『国連直属の超法規組織。サードインパクトを未然に防ぐため、使徒の調査、研究、殲滅を遂行する。しかし実際には人類補完計画の推進を目指すための組織』(7巻・DVD解説書【特務機関ネルフ】)であり、人類補完委員会という、『国連直属の機関』(8巻・DVD解説書【人類補完委員会】)も存在していることから、日向たちも、「人類補完計画」の存在を知ってはいるのだろう。
 しかし、オペレーターである彼らは、サードインパクトを防ぐために使徒を倒すという目的のためにネルフにいるのであり、本当の補完計画がどういうもので、計画の発動がサードインパクトを起こすことに他ならないということは知らないのではないだろうか。後のシーンで伊吹が、「これって、やっぱりサードインパクトの前兆なの?」と、『信じられない』(Air・アフレコ台本)ように呟いていることからも、補完計画とサードインパクトが結びついていなかったように見える。
 ミサトでさえ、加持から渡された情報で、ようやく補完計画の真相に近づくことができたぐらいなので、日向たちが知らないのは当然と言えば当然かもしれない。

 

■「戦自のネルフ侵攻とセントラルドグマについて」(Air/まごころを、君に)

 ここにあるんですよね、「熱滅却処置」が・・・。
 「マルボルジエ」という単語は第22話にも書いたけど、おそらく、セントラルドグマの階層のことだと思う。
 第22話で、零号機がロンギヌスの槍を取るためにセントラルドグマを下降する際、「10番から15番までを開放」した後に、「第6、マルボルジエ」を通過、そして、「16番から20番を開放」後、「最下層」に到達し、「ドグマ0地点に向かい、移動」。槍を持って上がってくるときは、「2番を通過」後、すぐに地上に現れる。
 最後の「2番」は、マルボルジエと言ってないので、ドグマの階層番号だとすれば、セントラルドグマの階層は下に行くほど大きな数字になっていくということだろう。つまり、地上→2番→20番→最下層(ターミナルドグマ)という感じ。

 第24話の5.1ch追加台詞には、最下層に到達したカヲルがターミナルドグマを目指した際、「第7マルボルジエを通過。最終ゲートまで、あと17」という台詞がある。おそらく、ターミナルドグマがある最下層に、「第7マルボルジエ」があると思われ、マルボルジエの番号もまた、下に行くほど大きくなっているのだろう。
 第6マルボルジエが、セントラルドグマの10~20層の間にあるとするなら、「フィフスマルボルジエ」は、その上にあると思っていいのかもしれない。
 戦自は、セントラルドグマの第2層を完全に制圧して、「フィフスマルボルジエ」の「熱滅却処置」に入ろうとしている。つまり、「熱滅却処置」は、セントラルドグマに対する処置であるということかもしれない。

 確かに南極にもセントラルドグマはあったようだし、セカンドインパクトの被害を抑えるために、「熱滅却処理」を行ったようだけど、その対象は、セントラルドグマという施設そのものに対してであったのだろうか。そして、『日本国の直接指揮下にある唯一の軍隊』(6巻・DVD解説書【戦略自衛隊】)である戦自もまた、ネルフが、「人間全てを消し去るサードインパクト」を起こそうとしているために制圧せよ、という日本政府の指令の下に侵攻してきているはずなので、最悪、サードインパクトが起こった場合の次善策として、「熱滅却処置」を行っていたと言われればそんな気もする。
 第13話にも書いたけど、6巻のDVD解説書によると、『セントラルドグマのネーミングは生物学から。DNA→RNA→蛋白質と伝達される遺伝情報は、一旦蛋白質に移されると、核酸や他の蛋白質に伝達される事がない。この遺伝情報の流れをセントラルドグマ(中心教義)という』そうなので、よく分からないね。地上に出る前に、セントラルドグマの途中で熱滅却すれば、インパクトの破壊を抑えることができるのかな・・・。そもそも熱滅却って何なのか。「心頭滅却すれば」っていうから、熱を滅却するってことかな・・・。

 

■「ヒトと使徒、アダムとリリスの関係」(Air/まごころを、君に)

 ミサトの台詞を区切ると、

 「私達人間もね、アダムと同じリリスと呼ばれる、生命体の源から生まれた、18番目の使徒なのよ。」

 「他の使徒達は別の可能性だったの。ヒトの形を捨てた人類の。」

 「ただ、お互いを拒絶するしかなかった悲しい存在だったけどね。」

 「同じ人間同士も・・・・・・」

 ミサトの言葉から考えると、

 ・アダムから生まれた使徒も、リリスから生まれた人類も、共に、「使徒」と分類される。

 ・その違いは、「ヒトの形」をとったかどうかにすぎない。

 ・つまり、リリスから生まれ、ヒトの形をとった使徒である人類と、アダムから生まれ、ヒトの形を捨てた“使徒と呼ばれる生命体”は、根本的に同じものである。

 ・両者は共に、「生命体の源から生まれた」生物なのである。

 ということかもしれない。レイは、第23話で第16使徒に侵蝕された際、内的宇宙の描写の中で、「使徒?私達が使徒と呼んでいるヒト?」と語っており、レイもまた、ミサトがたどり着いた真実(使徒=人類)を、直感で理解していたのかもしれない。
 では、ヒトの形を持つカヲルやレイは何なのか。
 第24話のゼーレの、「アダム」「そのサルベージされた魂は君の中にしかない」という台詞から、カヲルにはアダムの魂があるのだろうし、リリスのコピーである初号機からサルベージされたレイには、リリスの魂があるのだろう。つまり、彼らはアダムやリリスの魂が入った容れ物に過ぎない。彼らは、「生命体の源」そのものを内包した器のようなものであり、「生命体の源から生まれた」生物である使徒(=人類)とは、根本的に異なる存在である。
 カヲルは第24話で、「綾波レイ」「君は僕と同じだね」「お互いに、この星で生きて行く身体はリリンと同じ形へと行きついたか」とレイに語った。彼らにとっての身体とは、内包したアダムやリリスの魂が形作るものであり、ヒトの形をとる可能性も、とらない可能性もあった、ということではないだろうか。

 

■「ミサトの死に際の一言」(Air/まごころを、君に)

 「夢の続き」では、『この重要な人物の最期に、作者が、意表をつくような台詞を与えたからには、その意味を探らないわけにはいかない』(夢の続き・P.159)、『うわごとのような台詞とはいえ、この台詞から、家出前のアスカが、ミサトのマンションのカーペットを替えるように、ミサトに提案していたことがうかがえる』(同・P.170)とし、『意図的に、作者が、視聴者の混乱を狙って仕組んだ罠ではないかという可能性が考えられる』(同)としている。

 個人的には、まだアスカがいて、シンジもいて、2人とペンペンと共に過ごしていた時間を、死の間際に思い出していたのではないかと思う。その楽しかった頃に、アスカがカーペットを替えようと提案していたのかもしれない。

 

■「シンジの中のミサト」(Air/まごころを、君に)

 シンジにとって、「葛城ミサト」とはどういう人だったのか。
 加持は、シンジと同じ男として、シンジがミサトを「女」と意識していると思っていたのかもしれない(第18話・DVD内解説)。確かに、ミサトと生活を共にする中でシンジが赤面するようなシーンもあったけれど、では、シンジはミサトを「女」として見ていたのだろうか。
 私は、そうではなかったと思う。14歳の少年にとって29歳の女性との暮らしは刺激的なものだろうけど、シンジとミサトの関係は、そういった男と女の関係というよりは、やはり、家族という表現の方が似合っていると思う。
 二人のキスも、最期を悟ったミサトが、シンジに対していつもとっていた、保護者として常にリードする姿勢を貫いた行動だったのではないだろうか。それは、いわば弟をからかって面白がる姉のような行動だったのかもしれない。でも決してふざけたものではなく、最後だからこそ、シンジに対して真剣に、いつも見せていた「大人」でいようとしたのではないだろうか。後のシーンではミサトの声で、「結局、シンジ君の母親にはなれなかったわね」という台詞もあり、ミサトもまた、シンジを一人の「男」として見ていたわけではなかったようにも思われる。
 もしミサトが生き残っていたとしたら、笑ってごまかして、シンジをからかうネタにしてたかも。

 

■「リツコの造反失敗」(Air/まごころを、君に)

 リツコの造反は、リツコによってプログラムを変えられたはずのカスパーによって阻止される。リツコの持つ端末の画面に映っていたのは、バルタザールとメルキオールの『承認』に対して、カスパーの『否定』だった。
 第13話で使徒に侵入されたメルキオールが自爆を提訴したときは、他の2基によって『否決』されているので、本来の表示なら『否定』ではなく『否決』だったのではないだろうか。『承認』の対義語としても、それが自然だと思う。
 「女としてのパターンがインプット」(第13話)されているカスパーの拒否に遭い、しかも、その表示が『否定』であるのを見て、リツコは、母が、「娘よりも自分の男を選んだ」と感じたのかもしれない。『それは、そこにナオコの魂があったからではなく、リツコの改変にも優先するようにナオコの「遺志」が「人格」という名でマギに込められていたのだと考えるべきであろう』(夢の続き・P.91)。

 リツコに銃を向けたゲンドウは、最後に何と言ったのか。アフレコ台本は上記の通り「―」になっており、『フィルムブック(Air)』には、「XXXX・・・・・・」(P.99)とだけ書かれている。
 まぁ、正解はないと思うけど、自分で何か台詞を入れるとしたら、「愛していた」とか。

 

■「パターン(BLOOD TYPE)について」(Air/まごころを、君に)

 『GENETIC PATTERN』は、翻訳すると遺伝型という意味らしい。画面では『CONPARE』だけど『COMPARE』とするなら、比較するという意味らしいので、遺伝型を過去のデータと比較し、結果はパターン青だったということかもしれない。その画面は、第5話で映っていた、「信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似している」という第4使徒の解析画面と似ている。
 もしかしたら、ここに映っている解析画面は、酷似どころか、人間の遺伝型そのものだったのかもしれない。
 また、後の台詞で、「A.T.フィールドもパターン・レッドへ」という日向の台詞があり、「パターン青」「パターンオレンジ」に続いて、「パターン・レッド」という新しい解析結果が現れており、それが「A.T.フィールド」に対して使われていることが分かる。

 これが今までのMAGIの解析方法の一つなら、MAGIは、対象の遺伝型とA.T.フィールド、その2つを解析していたということかもしれない。
 そして、リリス(レイ)のA.T.フィールドを解析したMAGIは、パターン青という結果を出したが、その遺伝型は、人間そのものであるために、MAGIがパターン青と判断するほどのA.T.フィールドを持っていても、日向は、リリス(レイ)が使徒であることを否定し、ヒト、人間であると判断したのかもしれない。

 

■「生命の樹となった初号機の中でシンジが見た世界」(Air/まごころを、君に)

 はっきりと顔は見えないけど、この母親はミサトということらしい。言われてみれば、髪型は似ているように見える。
 この時点では、まだ地球規模の魂の補完は始まっておらず、TVシリーズでたびたび表現されたシンジの内面世界に留まっているのではないだろうか。
 では、ここから、本格的に補完が始まるまでの間に現れる、シンジが知り得ないはずのミサトやアスカの記憶や内面世界と思われるシーンは何なのだろうか。
 リツコは、すでに『死体』と表現されているので死んでいるだろう。ミサトも、おそらく生きてはいない。アスカはどうだろうか。エヴァシリーズからあれだけの攻撃を受けて、バラバラに解体された弐号機に乗っていたアスカが、生き延びられたとは私には思えない。

 リツコは、死の直前にレイの姿を見ている。ミサトも、見えていたかどうかは分からないけれど、倒れた横にレイの姿があった。この二人を含めて、アンチA.T.フィールドによって強制的にL.C.L.にされる前に死んだ人間の魂は、レイの力によってすでに集められていたのではないだろうか。また、アスカはアダムのコピーである弐号機と共にあったため、その魂を、アダムを内包したレイに引き寄せられたのかもしれない。
 そして、そのレイ(リリス)が、シンジが乗る初号機と接触したため、この時点からすでに魂の交流は始まっていたということかもしれない。

 

■「マンションでのシンジとアスカのやり取り」(Air/まごころを、君に)

 『EVAのパイロットとして自信を失い、さらに加持の死を知ってしまったアスカは、精神的なダメージを受け、ミサト達の前から姿を消してしまった』(第24話・DVD内解説)。第24話でアスカは保護されて入院し、それ以降、物語のラストまで、一度もミサトのマンションに帰ることはなかったはずである。そうなると、仮に、シンジがアスカの首を絞めるシーンが実際に起きたことだとすれば、それは、第23話の戦闘後から、アスカが家を出るまでだろう。
 だが、その家を出たアスカが、「7日後」(第24話)に発見されるも、それを知らされていないシンジは、「どこに行ったんだろ・・・・・・アスカ」「でも、会ってどうするんだ?・・・・・・綾波の話でもするのか?」(同)と語っており、アスカに対して、首を絞めるといった行動に出たようには見えないし、そもそも、カヲルを殺してしまう前のシンジは、そこまで情緒不安定になってはいなかったと思う。
 また、『アスカも、ゼーレのエヴァシリーズとの戦闘中に「バカシンジなんて、当てになんないのに」と叫んで、実はシンジを頼りにしている心理をさらけ出している』(夢の続き・P.172-173)。
 よって、このシーンは実際にあったものではなく、補完によって魂が融合しつつある情景だと考えていいと思う。
 このシーンが鮮明に描かれている理由について、『夢の続き』では、『視聴者の混乱を誘発しようとした』とし、『この後の、心の対話の中の、「現実が、よくわからないんだ」というシンジの台詞と、「他人の現実と自分の真実との溝が、正確に把握できないのね」というレイの台詞への、大胆な伏線になっていたのではないか』(P.174)と考察している。このシーンを考える上で重要な視点だと思うし、これが正解と言われれば、そんな気もする。

 なので、ここは、あえて違う方向で考えてみると、「エヴァ」のストーリーに則して言えば、このリアルなシーンは、自分と他人が融合した世界、つまり、「欠けた心」の補完によってできる、「欠けていない心」を描いたシーンではないだろうか。
 欠けていないのだから完全な心であるはずだが、その心に広がっていくのは「悲しみ」であり、「空しさ」であり、そして「孤独」だった。シンジとアスカ、この二人のやりとりは、他人がいない、だから自分もいないという世界の、不毛さの象徴だったのではないだろうか。
 第24話でカヲルは、「人間は寂しさを永久になくすことはできない。人は一人だからね」と語る。欠けていない完全で鮮明な世界だからこそ、人が抱える「寂しさ」という心の闇を際立たせ、人の心を補完しても、結局、「孤独」をなくすことはできなかったということかもしれない。

 余談というか、『DEATH(TRUE)2』に、一瞬だけ、イスに座っているアスカが映っている(54分30秒あたり)。座っている位置や姿勢、服も、この場面のアスカと同じように見えるし、見下ろしている角度からすると、この場面のシンジがアスカに語りかける直前の視点ではないかという気がする。ただ、DEATH編の位置づけが難しいので、参考までにというか・・・。

 

■「(無言)のテロップについて」(Air/まごころを、君に)

※2019年4月追記:この点に関しては、『夢の続き』の記述が参考になるので引用します。

 『宮崎監督の場合、「命は尊い」という結論が、監督の頭の中で、物語が始まる前から決まっており、そういう意味では、物語は、始まる前から終わっているのである。宮崎監督は、それでも、豊富なイメージで物語を盛り上げることができるし、同じテーマの作品をいくつも作れる名職人であるのだが、庵野監督の『エヴァンゲリオン』は、監督自身が「ここにいてもいいの?」と真剣に悩みながら制作された作品であり、放映開始から二年を経てようやく示されたひとつの結論は、「無言」というテロップであった』(夢の続き・P.253)。

 

■「現実パート」(Air/まごころを、君に)

 自分だけの世界(=虚構)は気持ちがよく、他者のいる世界(=現実)は辛い。
 しかし、だからといって現実から逃げていては、いつまでも、他者と共にある自分(=真実)を形成することはできない。・・・とかね。

 

■「最終2話のサブタイトルの意味」(Air/まごころを、君に)

 逆に、TV版、劇場版の第25話・第26話で出典が明らかでないサブタイトルは、

  TV版第25話:「終わる世界」

  劇場版第25話:「Love is destructive.」

  TV版最終話:「Take care of yourself.」

  劇場版第26話:「I need you.」

 明らかでないというのは、私の手元の資料では分からないというだけで、実は元ネタがあるのかもしれないけど、それは置いといて、何かからの引用ではないということは、そこにはやはり、エヴァ独自の要素があるのかもしれない。
 とはいえ、このサブタイトルから何か意味を見い出せたとしても、それはどこまでもいっても推測の域を出ないだろうから、まぁ、話半分でつらつら書きます。

 まず、「終わる世界」から。
 これは、「Air」と「まごころを、君に」が公開されたときのタイトル、「THE END OF EVANGELION」につながったのではないだろうかと思う。そのままの英訳ではないけれど、『新世紀エヴァンゲリオン』という世界(ストーリー)の終わりという意味で共通点はある気がする。
 次に、「Love is destructive.」。
 TV版第25話の英文サブタイトル、「Do you love me?」とは、「love」という共通点がある。また、「Air」の映像自体が破壊と呼べるシーンの連続だし、そういう意味で付けたといわれればそんな気もする。正直よく分からない。
 次は、「Take care of yourself.」。
 これを、「ご自愛ください」と訳すなら、「世界の中心でアイを叫んだけもの」とアイで強引に結びつけることはできる。最終話のDVD解説書には、『片仮名で「アイ」と表記しているのは「愛」と英語の「I」をかけているのだろう』とある。
 最後は、「I need you.」。
 個人的には、シンジ(I)が、他人(you)のいる世界を求めたという意味で、「I need you.」だったのではないかなと。あるいは、シンジを含め、人間には他者が必要だということかも。
 また、「Take care of yourself.」と「I need you.」の翻訳をつなげると、「ご自愛ください」「私にはあなたが必要です」となり、一人称で語りかけているようでもある。

 

■「ラストシーン」(Air/まごころを、君に)

 アフレコ台本には「気持ちワルイ」と書かれているので、本当に当初から「あんたなんかに・・・」だったのかは分からないですね。まぁ、どっちでもいいというのが正直なところですが・・・。
 中盤でも書いたけど、自分としては、リツコ、ミサトに続き、アスカも、弐号機がエヴァシリーズにとどめを刺された時点で死亡していたのではないかと考えています。そのために、アンチA.T.フィールドが地球規模で広がる本格的な補完が始まる前であったのに、シンジと魂の交感が行われていたのではないだろうかと。
 なぜこのことを最後に書くかというと、アスカが仮に死亡していたとするなら、シンジが補完を拒否したことで、一度死んで肉体を離れたアスカの魂は、再び肉体を得て再生したということであり、それならば、その直前に死亡したリツコやミサトにも、再生した可能性があったのではないだろうかと。
 アスカは、エヴァシリーズの攻撃の末に生き残るも、アンチA.T.フィールドによってL.C.L.に還元し、シンジの補完拒否によって再生したとするなら、この説は否定されるけれど、アスカが再生したということが、ミサトやリツコ、あるいはゲンドウら補完された人々も再生したという可能性につながるなら、私にとって、それは希望と呼べるものかなという気がします。

 

■「旧劇場版考察あとがき」

 油断していたところに、旧劇もやってほしい、というありがたいコメントを頂きまして、折しもQがもうすぐ公開されるの?されないの?という微妙なタイミングだったこともあり、それならQの公開に合わせて、初めから全部書き直してしまおう、と思ったのが事の発端でした。4ヶ月ぐらいあれば余裕だろうと思っていたんですけどね、余裕のよの字もなかったですね・・・。

 全考察を通して、『エヴァ』という世界を紐解くことに役立ちそうなヒントを、参考資料から抜粋することをメインに、正解を求めるというより、こういう風にも考えられるというスタンスで自分の考察を書き加え、なんとか旧劇場版まで終わらせることができました。まだまだ考えるべき部分は残されていると思いますが・・・とりあえずはこの辺で。

 この考察が、『新世紀エヴァンゲリオン』を理解する一助となることを願って。

2012/10/29

 

「自分と時間」

 

 

「自分と時間」

 


無限に続き、無限に広がる階段

その果てしない階段に並ぶのは

生まれてから死ぬまでの、すべての瞬間の自分

赤ん坊だった自分と、魂が消えるまでの自分

過去から未来に続いていく、連続した自分

そのどれもが自分

今この瞬間、未来も過去も同時に存在している

今この瞬間、未来も過去も同時に存在している

今の自分が、一段上の自分になるわけではない

階段に居る、すべての瞬間の自分の

ある一瞬に、ふと気付くだけ

階段に居る自分に、ふと気付くだけ

自分に気付かない赤ん坊は

すべての瞬間の自分が見えている

階段の途中にいる、連続した自分

それが自分だと気付かないままに

だから泣いたり、笑ったりするんだ

階段に並ぶ、色んな自分を見ながら

泣いたり、笑ったりするんだ

階段の途中に居るということ

自分が、ただ居るということ

そこに意味なんてない

どんな金持ちも、どんな貧乏人も

階段の途中に、ただ居るだけ

無限に比べて、一瞬でしかない長さ

そんな階段の途中に、ただ居るだけ

だから、意味を探すんだ

その瞬間に、その位置に

自分が居るということ

その意味を、探すんだ

 

 

「少年と深海生物」

 

 

「少年と深海生物」

 


ある少年は、

「世界よ壊れろ」

と思いながら生きている。

そんな少年にはたった一つ、奇妙な能力がある。

それは、世界を壊せる深海生物に、「世界を壊せ」と命令できること。

少年はそのことを知らない。

見たこともない深海生物に興味もない。

その生物は少年の命令を待ちながら、悠々とプランクトンを食べている。

やがて少年は大人になり、愛を知る。

「壊れるな世界」

と願う。

深海生物はそのことを知らない。

見たこともない人間に興味もない。

今日もプランクトンを食べている。

 

 

no_title

 

 

「no_title」

 

 

一つ片付けることは

一つ答えを出すこと

 


/ ※ /
 

 

未来はそれほど

ミライになっていないらしい

 


/ ※ /
 

 

少しズレれば

世界はかわる

 


/ ※ /
 

 

不便は慣れる

不幸は慣れない

 


/ ※ /
 

 

思い出が

自分を作っている

 


/ ※ /
 

 

私は幸せになりたかったのだ

ただ、私は幸せが分からなかったのだ

だから、そこに幸せがあったことに気付かなかったのだ

幸せだったということに、気付かなかったのだ

 

 

575/57577(2018年)

 
 
 
 
2018
 
 
 
 
暑さにもさみしさ混じる秋の風
 
autumn wind
 
 
 

我怒り怒濤のごとく鼻をかむ

“fuABe,Boooooo!!!baSsO!!!!”

 

 

(2018年9月6日(木))

 

 

風を越え 雨の夜を越え 家守り

たくましくあれ 蟻のごとく

 

 

(2018年7月29日(日))

 

 

カミサマノ オトシタ オトガシタ

sound/drop

 

横綱が黒南風白くするのかな

black & white

 

新しき水、群青にはじける

a new water

 

匂い立つ夏の空かたつむり

a snail in summer

 

梅雨過ぎて蝉の鳴き声ついに聞く

a cicada’s sound

 

虹色に染まるアジサイ夏来る

niji no iro

 

梅雨明けにぽっと咲く未草

hitsujigusa

 

ああそうか あの雲ひとを 殺すのか

2018/07

 

(2018年7月14日(土))

 

 

五月雨に淡く浮かぶ山の際

mountain edge

 

家なきもの食うものあるから生きている

yanakimono

 

新聞をひとなでしてハサミ入る

cliping out a newspaper

 

雨の音にキムチの辛さ染みわたる

rain drop and kimchi noodle

 

マックにて軍国少年声響く

an old boy

 

東京も鳥から見ればただの街

bird’s – eye

 

「あ、そうか」あの人この人 訃報欄

good bye…

 

窓の外騒々しくも送り梅雨

“It’s coming!!!”

 

(2018年6月24日(日))

 

 

それ以外見えなくなるのが幸せか

blindness/happy

 

無知こそが自由を生むフロンティア

ignorance/frontier

 

朝3時HDDの音と寝る

sleeping/driving

 

(2018年5月3日(木))

 

 

春来る冬の寒さもよかったな

 
“You liar!”
 
 
 
恋もとむ恋をするため恋もとむ
 
Where is love
 
 
 
湯につかる猿の顔に先祖見る
 
Human is almost monkey
 
 
 
「ボルトはね テクがあるんだ」通学路
 
Possibly you may have
 
 
 
「キガ」という字を書けるか常に問え
 
It should have been eaten
 
 
 
音かなで春夜の雨やしとやかに
 
haruyo

 

(2018年3月21日(水))

 

2018年6月24日(日) 英字を一部修正

 

「マクロスΔ」

 

「マクロスΔ」

 

去年から見始めたマクロスシリーズも、2017年時点の最新作に到達することになった。

本作『マクロスΔ』(以下、デルタ)はマクロスシリーズ7作目、テレビアニメとしては4作目にあたる。各作品の中身が濃いせいか、通算で二桁に届いていないというのが少なく感じる。

時代設定は西暦2067年、前作『マクロスF』(以下、フロンティア)の8年後の世界である。『超時空要塞マクロス』(以下、初代マクロス)の早瀬未沙が艦長を務めるメガロード-01を旗艦とした「第一次超長距離移民船団」が地球を飛び立ったのは2012年。そこから、実に55年という月日が経過している。あのマックスとミリアに孫がいるというのは隔世の感がある。彼らはまだ生きているのだろうか。

ちなみに、公式サイトの誕生日から計算すると『マクロス7』(以下、7)のバサラは43歳、『フロンティア』のランカは24歳あたりになっているはずである。バサラは40を過ぎても変わっていないと思うが、24歳のランカがどうなっているのかは非常に気になるところである。


/ ※ /


今作を象徴する要素の一つに「風」がある。同じく「風」という要素を取り入れ、プロトカルチャーにまつわる点などで本作と共通点も多い『マクロスゼロ』(以下、ゼロ)の重い雰囲気とは違い、全体的に軽やかで、こなれた感じである。主人公のハヤテにしても、自由奔放なところはありつつも、基本的には素直で気のいい男である。今までのマクロス作品の主人公で、ここまで素直かつ爽やかなキャラがいただろうか。

ただ、作品を通してそういった軽やかさを感じる分、後味が残るような苦みもない。全体的にやや薄味というのが私の印象である。とはいえ、最後まで安定した作りできれいにまとまっていて、ストーリー的にもシリーズの重要な位置を占める作品になっていると思う。特に50年以上前に行方不明になったというメガロード-01の消息に触れたという点は、なぜ今作で触れたのかという意味においても興味深い。それが、ついに最後まで登場しなかった「レディー・M」なる人物の活動とつながっているとなれば、なおさらである。

「可変戦闘機バルキリー」は今作でも健在だが、そのバルキリーが「踊る」という発想は今までなかったように思う。例えば『マクロスプラス』(以下、プラス)ではイサムが遊ぶように飛んではいたが、踊るという感じではなく、『フロンティア』ではアルトが元歌舞伎役者ではあったものの、戦闘で踊るといった描写はほぼ描かれなかった。バトロイド形態は人型なのに「踊る」という要素がなかったというのは、私には新鮮な驚きだった。

また、今回の主な歌い手「ワルキューレ」は、今までに登場したような単体の歌手ではなく「アイドルグループ」である。その発想は『7』のジャミングバーズに近いと思っていたが、公式サイトによるとメンバーのデータがワルキューレ結成にも生かされていたようである(「MACROSS PORTAL」用語集)。第11話でワルキューレのメンバーがタイヤを引いて走る「昭和のスポ根」的な特訓シーンも彼女らを思い起こさせる。

何より、まるで「魔法少女が変身するアニメ」のようなファンタジックな雰囲気は、今までのマクロス作品からすれば異色とも思える。だが、今まで異色ではないマクロスがあっただろうか。『7』という異色すぎる作品を筆頭に、もはや自由で尖っていなければマクロスではないとすら言えそうである。『初代マクロス』からして、それまでにない新しいものだったからこそ驚きとともに迎えられたのである。現実にも「アイドルグループ」が乱立し、アイドルを意識したアニメ作品も作られる昨今である。その流れに乗ったとも、抗えなかったとも言えそうだが、常に新しいものを求めるマクロスらしいと言えばらしいとも言えるのではないか。

そして、そこはやはり「マクロス」でもあり、必然的に「血生臭く」なる宿命にある。ワルキューレが所属するケイオス自体が「アイドル事務所」といった趣ではあるが、そのケイオスは『フロンティア』で言えばS.M.Sのような民間軍事会社であり、依頼を受けて戦場で仕事をするプロの集団である。ワルキューレもまた「トップ」を夢見るだけのアイドルグループではない。戦場で傷つき、幾たびも失敗を繰り返し、メンバーも辞めていきながら、それでも歌い続けて成果を出してきた。だからこそ、第25話でカナメが口にした「夢」という言葉にも重みが出てくるのだろう。それまでの積み重ねが終盤で生きてくるのを見られるのも、2クールもののいいところである。


/ ※ /


マクロスというシリーズには、一貫したテーマとは別に、同じシリーズでありながら各作品で全く違う「個性」があり、それが「マクロス」という世界を広げることにもつながっている。では、『デルタ』という作品特有のテーマは何か。私は、それは「二面性」ではないかと思う。

例えば次元兵器に関する認識の違いもその一つである。作中で真相は明かされるが、それまではウィンダミアと地球人類(新統合政府)の見解は食い違っていた。本当のことが分からなければ、属する側によって見え方が変わる「真実」という魔物。ライト・インメルマンという人物についても同じことが言える。行動の真意、本当の思いはどこにあったのか。曖昧な事実と個人的な印象が一人歩きし、実像と虚像を生み出していく。

あるいはロイドとキースの関係もそうである。ロイドはウィンダミアを裏切ろうとしたわけではなく、むしろ王国の再興に熱心な人物だったとさえ言えるだろう。だが、プロトカルチャー研究を続けてきたロイドは、ウィンダミアこそがその正当な後継者であるという考えに固執してしまう。結果、「星の歌」で全人類をつなげ、ウィンダミアを中心とした永遠の平和を得ようとしてしまった。そこにはウィンダミア人の寿命の短さへの抵抗もあったのだろう。それに対しキースは、短いからこそ一瞬を命がけで生きることに価値を見出していた。これは「今がいっぱいいっぱい」(第9話)と言うフレイアに通じるものがある。

短いからこそ永遠を求めるか、短いからこそ一瞬を生きるか。ロイドとキースの違いはそこにあった。かつて同じ空を飛びながら、見つけたものは決定的に違っていたということだろう。これも二面性と言えるのではないか。


/ ※ /


「マクロス」と言えば、やはり「歌」を抜きには語れないだろう。ただ、実際は歌それ自体というよりも人が歌う理由や、歌が持つ可能性、歌を含めた「文化」によって異星人、あるいはバジュラのような特異な生命体とさえ分かり合えるのかといった疑問、そういった「歌」に絡む様々な要素と向き合おうとするのが「マクロス」というシリーズではないかと思う。

本作ではワルキューレのメンバーがそれぞれ「歌は○○」と言う場面がある。第4話で言えば、「歌は愛」(レイナ)、「歌は希望」(マキナ)、「歌は命」(カナメ)、「歌は神秘」(美雲)、「歌は元気」(フレイア)である。この「歌は○○」という言葉は『フロンティア』の劇場版(後編)のポスターにもキャッチコピーとして使われている。第一弾から順に「歌は魔法」、「歌は祈命(いのち)」、「歌は死なない」の三つである。特に「歌は魔法」という言葉について監督の河森氏は、「『マクロスF』を作っているときに、『そうなんだな』って再認識した点でもある」と語っている(パンフレット、P.5)。もちろん、マクロスに魔法は出てこない。だが「歌」というものは限りなく魔法に近い存在、そう思わせてくれるのも「マクロス」という作品の面白さではないだろうか。

そして、上記のワルキューレメンバーの台詞のうち、ポスターのキャッチコピーと共通したキーワードを持つのは「歌は命」と言うカナメただ一人。ポスターに「歌は祈命」というキャッチコピーとともに描かれたのは、傷つきながらも立つシェリルである。この一致には何か特別な意味があるのではないか。そこに込められたものを探ってみたい。


/ ※ /


シェリルとカナメ。一見すると共通点は少なそうに思える二人だが、実は似ている点も多い。そのポイントは大きく分けて三つある。「幼少時の過酷な経験」、「栄光と挫折」、そして「心の強さ」である。

一つ目の「幼少時の経験」。シェリルは幼い頃をマクロス・ギャラクシーのスラムで過ごし、残飯をあさるような生活をしていた。カナメは内戦状態の惑星ディバイド出身で、戦闘に巻き込まれた経験もあると過去のオーディション(第21話)の際に語っている。状況は違うとはいえ、ともに幼い頃から過酷な状況を経験していると言えるだろう。その経験が非常時にも動じない力強さを育んだのではないか。

次に、「栄光と挫折」。シェリルは「銀河の妖精」と呼ばれるほどのトップシンガーに上り詰め、カナメはワルキューレのリーダーにしてエースとしてメンバーを引っ張る存在となる。そして、シェリルはランカという新人アイドルに、カナメは美雲という新メンバーにトップの座を譲ることになる。ただ、カナメはワルキューレに加入する前、アイドルとして一度挫折を経験しており、そのためか美雲という存在にもすぐに白旗を揚げられたように感じられるが、シェリルはトップシンガー「シェリル・ノーム」であることに強いプライドを持っていた分、その転落も激しいものとなった。この点はテレビシリーズと劇場版で展開が異なるが、「V型感染症」の悪化も相まって、歌を捨てるところまで追い詰められるという点では共通している。

そして、三つ目の「心の強さ」。これは一つ目、二つ目とも関係している。二人は基本的に面倒見がいい。シェリルのランカに対する態度は、ライバルというより気のいい先輩といった感じであったし、カナメは自分でも語っている通り、メンバーをまとめることに長けているところがある。これは過酷な経験から自然と身についた性格ではないだろうか。そして、それゆえか自分の能力の限界を人のせいにしない潔さがある。シェリルはランカの登場で自分の人気に陰りが生まれたことを悟りながら、決してランカに(少なくとも歌手としては)嫉妬を向けたりはしなかった。カナメは初めて美雲の歌を聞いたとき、すぐに「負けたな」と感じたが、その場で気持ちを切り換え、ワルキューレの目指す方向を再認識した。

二人とも、そこに悔しさがなかったわけではないだろう。人間である以上、そこには複雑な感情が生まれるはずである。だが、それを自分を高めるエネルギーに変えることは、精神的なタフさがなければできないことである。そんな二人の共通性を示す上で、「命」という言葉はこれ以上ないキーワードではないかと思うのである。

なぜ、カナメにシェリルと共通したキーワードを与えたのか。もちろん、ただの偶然かもしれない。だが、もし意味があるとすれば、それはカナメをシェリルに重ねて見てほしかったという思いではないか。そう考えれば、かすかな希望を残しつつも昏睡状態のままに終わった「劇場版」のシェリルに、力強い「命」を与えるという意味も見えてくる。


/ ※ /


「歌」というテーマで言えば、さらにもう一つ、本作の中で歌について語られた言葉がある。第19話、イプシロン財団の武器商人ベルガーがケイオスを訪れた際に語った、「歌とは究極の兵器」である。この言葉はプロトカルチャーの時代から2067年に至るまでの歴史を語るベルガーが、自分の得た結論として述べたものである。マクロスシリーズを通して見れば、この言葉は核心を突いた言葉であることが分かる。

歌は使い方によっては兵器利用できるという発想は過去の作品でも示されてきた。例えば『7』では、プロトデビルンに歌で対抗する「サウンドフォース」や「ジャミングバーズ」が結成され、『プラス』では人間でさえ歌に操られる危険性も描かれた。それらの要素が総合された結果、『デルタ』では歌で人間を操ろうとする側(ウィンダミア)と、それに抗う音楽ユニット(ワルキューレ)という構図が生まれたのではないか。

さらにベルガーは、50万年前に栄えたプロトカルチャーの時代でも「歌の兵器利用」が考えられていたという仮説を立てている。実際、「風の歌い手」たるハインツの歌でプロトカルチャーの遺跡は起動し、ウィンダミアの遺跡に残っていた細胞片が「星の歌い手」のものであることが判明するなど、プロトカルチャーと「歌」という要素は深く結びついていたことが示される結果となっている。

「プロトカルチャー」という要素は『初代マクロス』から登場し、その謎めいた存在の成り立ちから終焉までが『7』によって明らかにされた。そして『ゼロ』では、ハスフォードによって唱えられた「プロトカルチャー干渉仮説」(外的要因による人類の進化)が、「鳥の人」の体液とマオの血液が一致したことによって証明された。そうして少しずつプロトカルチャーと人類のつながりは描かれてきたが、『デルタ』ではプロトカルチャーが生み出した、いわば人類の兄弟のような異星人が複数登場することになる。


/ ※ /


西暦2012年以降、多くの宇宙移民船団が地球を出発し、旅の行く先で様々な居住可能惑星を発見している。中にはウィンダミアのように、すでに文明を持つ種族が住む星もあった訳だが、プロトカルチャーが人類を生み出したのなら、遺伝子を「デザイン」された人類種が地球以外にいても不思議ではないということになる。過去の作品でも『マクロスⅡ』(以下、Ⅱ)で異星種族マルドゥークが、『マクロス ダイナマイト7』で惑星ゾラに住む原住民族ゾラ人が登場しており、プロトカルチャーの遺伝子操作によって生まれた種族が宇宙にはたくさんいると思っていいのだろう。この点に関しては『フロンティア』の第16話で「14の惑星で文明の痕跡」と具体的な数字が出ており、『デルタ』でも第7話冒頭のナレーションで「多くの人類種を作り上げた」と語っている。

問題は、その惑星に住む人々にとって「人類は敵か味方か」ということである。彼らからすれば、突然、空からやってきた地球人類こそ未知の「異星人」である。いきなり国交を樹立しろと言われても、なかなか割り切れるものでもないだろう。それでも恩恵を考えて国交を結ぶ国もあれば、当然、反発する国も出てくる。

プロトカルチャーの遺跡が多数残るブリージンガル球状星団、中でもウィンダミアという星に人類が辿り着いたのは40年前というから、2027年頃である。そこで人類と不平等条約を結ばれたウィンダミアは、7年前に独立戦争を起こし、次元兵器の使用によって停戦状態となった。ウィンダミアが地球人類を憎む動機の一つは、7年前の次元兵器の使用であり、ウィンダミアの大地に今なお残る深い爪痕がその憎悪をかき立てている。

そこには力を背景に「統合」という勢力圏を拡大しようとする側と、それに抗う人々という構図がある。これは『ゼロ』では統合政府と反統合同盟の戦いとして描かれた。そしてどんな時代にも弱い方が淘汰されていく。また人類の歴史を顧みても、大航海時代以降、「文明」という火に原住民族は追い立てられ、数を減らし、その文化を失い続けてきた。

その人類が宇宙へと旅立っていく。それは果たして良いことなのか、悪いことなのか。そういった疑問を『ゼロ』以降、河森監督はマクロスの主題に置いているように感じる。新統合軍を徹底して役立たずの憎まれ役にしているのも、決して人類がすべて正しいわけではないということを表しているのではないか。『ゼロ』でノーラは「国も領土も、人の命も、自分たちの手に入らないものは全て破壊する、それが統合軍のやり方さ」と語っている。彼女は反統合同盟の人間であるため主張を鵜呑みにはできないが、統合側のやり方を見る限り、あながち間違ってもいない。そんな統合政府だからこそ、反統合勢力もなくならないのだろう。

そして、それは「新統合政府」というフィクションだけの話だろうか。組織が肥大化すれば、ほころびを見せるようにもなるし、都合の悪いことは組織ぐるみで隠蔽するようにもなる。現実にもそういう組織が、我々の身近にいないだろうか。「統合」という思想は、現実社会への痛烈な皮肉にもなっていると思う。


/ ※ /


今作ではハヤテ、フレイア、ミラージュという三人の関係を中心に話が進んでいく。ミラージュはケイオス所属だが、かつては新統合軍に所属していたという。三角関係の中で女性が軍経験者かつパイロットなのは『Ⅱ』のシルビー以来だろうか。いずれ女性軍人パイロットが主人公で、男性歌手二人が奪い合うような話も生まれるのかもしれない。あまり想像できないが・・・。

マックスとミリアの孫にあたるミラージュはガチガチの軍人肌で、馬鹿が付くほど真面目なところがある。その飛び方はメッサーには「教科書通り」、ウィンダミアのヘルマンには「考え過ぎ」と指摘され、本人は才能がないと思っている(実際はそんなことはないのだが)。そんな真面目すぎる少女のため、たまに台詞が長くなる場面もあるのだが、その一つに新統合軍時代の経験を語ったものがある。第6話、初めて戦場を経験したハヤテに語りかける場面がそれである。

今作では、『ゼロ』以来となる人類同士の戦争が描かれた。それは人が人を殺す戦いにほかならない。ミラージュは、そんな経験を乗り越えることなんてできない、だから平気なフリをする方法を覚えろと言う。一人殺した重荷も、誰かの幸せを一つ守れたのなら意味があると説く。彼女もまた歴戦の兵士であり、戦場で人を殺す意味を語る言葉には重いものがある。だがそれ以上に、彼女の独白には『ゼロ』から続く、河森監督の言いたいことが凝縮されているように感じるのである。戦争を題材とするマクロスを描くからこそ、そこには確かな哲学がなければならないのかもしれない。

戦争はこれからもなくなることはないだろう。ならば考え続けなければならないのではないか。そして戦争を考えるということは、戦場に立つ人間のことを考えることではないか。ミラージュの言葉から、私はそんな考えを受け取ることができたし、そういった疑問と答えを見つけられるところに「マクロス」という作品の魅力があるのだと思う。


/ ※ /


今までのマクロス同様、デルタも印象的なシーンがたくさんあった。例えば第3話、画面越しのハヤテの機体にフレイアが手を重ね一緒に踊る場面は爽やかで気持ちが良くて、第10話のメッサーとカナメの会話は、遅かれ早かれ悲しい結末が来ることを予感させた。第21話のワルキューレ結成秘話は、ただのアイドルグループに見えていた彼女たちに奥行きと背負っているものの重さを与え、第25話でハヤテが父からの手紙をフレイアと読むラストから「愛・おぼえていますか」への流れに、密かにミラージュを応援していた私も、これはこの二人で決まりかと思わざるを得なかったりもした。

他にも挙げたいシーンは色々あるのだが、もっとも印象的だったのは、第6話で美雲からフレイアへ、そして最終話では逆にフレイアから美雲へ投げかけた「なぜ、どんな思いで歌うのか」という問いかけである。過去のマクロス作品に登場した歌手たちも皆、この「なぜ歌うのか」という問いに直面している。

なぜ、どうして歌うのか。これは「歌」という存在を扱ってきたマクロス作品にとって、とても「マクロスらしい」問いかけである。そして、これからのマクロス作品でも絶えず問われていくであろう、マクロスの永遠のテーマではないかと思う。

 


『マクロスΔ』

放送期間:2016年4月~2016年9月
原作:河森正治、スタジオぬえ
総監督:河森正治
監督:安田賢司
シリーズ構成:根元歳三
アニメーション制作:サテライト
製作:ビックウエスト、マクロスデルタ製作委員会

 

「マクロス ゼロ」

 

「マクロス ゼロ」

 

本作『マクロスゼロ』(以下、ゼロ)は、マクロスシリーズ生誕20周年を機に制作された。時代設定は西暦2008年であり、マクロスシリーズの第一作『超時空要塞マクロス』(以下、初代マクロス)の前日譚にあたる。

「ASS-1」と名付けられた宇宙船の落下以来、地球では異星人に対抗するための統合思想(統合政府)とその抵抗勢力(反統合同盟)によって紛争と内乱が多発するようになっていた。「統合戦争」と呼ばれる一連の争いは、統合政府の樹立によって一応の終結を見ていたものの、その後も両者の戦闘は継続し、本作の「マヤン島事変」へとつながっていく。西暦2067年を舞台にした『マクロスΔ』でも、新統合軍にいた頃のミラージュが「反統合勢力」と戦闘経験があると語っており(第6話)、反統合側の根の深さをうかがわせる。

また、今作でノーラが統合軍の残虐性を語るなど、統合政府が決して正義の味方ではないと思わせる描写はマクロスシリーズでたびたび散見される点である。統合軍のシンも反統合軍のノーラも、急激に一つにまとめられていく世界の被害者であり、心と体に深い傷を負っている。地球人として一つにまとまると言えば聞こえはいいが、統合することは痛みを伴うものであり、またそれまで存在した文化に「上書き」してしまうことでもある。

この「統合」とは「侵略」と同義ではないのか? 今作を見ながら、そんな疑問を投げかけられているように感じた。そして、その疑問は、バジュラとの戦いを描いた『マクロスF』や、ウィンダミアとの戦争を描いた『マクロスΔ』にも受け継がれていったように思う。マヤンの現状を通じて描かれた、土着の文化が掻き消されていく過程もまた「統合」という波を象徴している。マヤンのような島にも文明の波は押し寄せ、若い者は島を出て行って戻らない。都会という火に憧れてしまうのは、島を守る立場にあるサラであっても例外ではなく、もはやその流れに抗うことはできないだろう。そういった諦めに似たものが作中には漂っているように感じられる。


/ ※ /


本作はかなりのリアル路線であり、特に空戦シーンは鬼気迫るものがある。また、フォッカーの乗るvf-0の変形シークエンスは、今までのバルキリーが一瞬で変形していたものを細かく描いていて、こんな風に変形するのかと、そのリアルさに目を奪われた。

なぜ、そこまでリアルに描いているのか。それについては劇場版『マクロスF』(前編)のパンフレットにある河森監督へのインタビューが参考になりそうである。監督が『ゼロ』の取材でラオスを訪れた際、実戦経験もある案内人に「戦争はかっこいいことなんかない。もし映画を作るなら戦争体験なんかリアルに描かず映画ならではの "嘘" として描いてくれ」と言われたという。その翌日、バンコクの空港でアメリカの同時多発テロのニュースに直面した監督は、帰国後、テロのニュース映像を「ハリウッド映画」のように感じたと語る人が多かったことに、「現実のニュースやテーマ性を突き詰めたドキュメンタリーですら、伝わらない」と思い知らされたといい、『ゼロ』は「神話として描くしかない」と思ったという(パンフレット、p.22)。

「リアルに描くな」と言われながら、作品は徹底的にリアルである。これは矛盾しているようにも思えるが、テロのニュースに関する下りのように、映像がリアルであればある分、それは「嘘」の度合いを増していくのではないか。テレビ越しの「戦争」が、まるで映画だと思えてしまえるように。リアルなCGを駆使した映画が、限りなく「嘘っぽく」見えるように。そう考えれば、本作を徹底的にリアルに描いたのも、逆に「嘘」の度合いを強めようとした狙いがあったのかもしれない。リアルに描けば描くほど嘘に近づくというのはアイロニーを感じて興味深い。ただ、それでもミリタリー色が強すぎたのは、個人的にはやや残念な点だった。あまりに力み過ぎではなかったかと思う。


/ ※ /


この作品を見て何よりも嬉しかったのは、フォッカーを再び見られたことである。キャラクターデザインには美樹本氏も協力しており、声は神谷氏と、まさに「あの」フォッカーである。リアルになった分、昔の方が老けて見えるのは面白い現象だと思うが、酒癖、女癖もさることながら、やはり歴戦のパイロットであったことが改めて分かり、それだけでも見た甲斐はあったというものである。

また、フォッカーとアリエスが昔を語り合う場面や、「鳥の人」と一体化したサラの元へシンが飛び込んでいくシーン、マオがシンを見送るラストなど、今作には心に残る場面がいくつもあったし、考えさせる点も多かった。プロトカルチャーと人類の関係もより具体的に描かれ、マクロスを語る上で外せない作品になっていると思う。

それだけに場面転換やストーリー展開など、演出面で目に付く部分があったのはもったいなかった。このゼロこそ、一本の総集編として見たかった。

 


『マクロス ゼロ』

発表期間:2002年12月21日~2004年10月22日
原作・監督:河森正治
脚本:大野木寛
アニメーション制作:サテライト
製作:     ビックウエスト、バンダイビジュアル

 

「ヒトの本性」

 

 

「ヒトの本性」

 

 

人間に期待しすぎなんじゃないの

幻想を抱きすぎているんじゃないの

「凶悪犯罪が増えた」

本当に?

人間なんて、最初からそんなものなんじゃないの

理想に目がくらんでいるんじゃないの

残念ながら、人間なんて

ろくでもない生き物なんだ

それを知らずに、いったいどんな理想を持つの

現実を見ない理想の先に、見たい現実はないよ

見たくない現実を見た先に、理想は生まれるんだよ

理想と現実の順番を

まちがえちゃいけないよ