「プラスティック・メモリーズ」

 

「プラスティック・メモリーズ」

 

この作品を見るのは二度目である。一度目は放映時だったが、できれば最初から最後まで一気に見たいと思うようになり、最終回を迎えるまであえて見ないようにしていた。

それから色々あって(要はすっかり忘れていたのだが)、ふと思い出し、折しもマクロス熱がゼロで一旦引いたこともあって、この機会に見ることにした。


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世界的大企業SAI社によって製造・運用されるアンドロイド「ギフティア」が社会に溶け込んだ、近未来の日本。SAI社に就職した新入社員「水柿ツカサ」が、寿命を迎えるギフティアを回収する部署「ターミナルサービス」へ配属されるところから話は始まる。

企業というリアルな箱の中でツカサという青年が成長していく、いわば「仕事モノ」である。この手の作品で、かつSFが取り入れられており、シリアスあり、ラブコメありな作品といえば『クラスルーム・クライシス』が思い浮かぶ。

プロデューサーの鳥羽洋典氏によれば、本作も当初は「学園モノ」と「仕事モノ」の両立を目指していたという。だが、監督の藤原佳幸氏が「学園モノ」という要素をそぎ落とし、あえてSF色も強くしないことで、出会いや別れといった『人間ドラマ』を重視する作品に落ち着いたという(電撃G's Magazine、2014年11月号、2015年1月号)。


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いわゆる「ラブコメ」であっても、作品に通底するのは、ギフティアの耐用年数が約九年というシリアスな現実である。

期限を迎えたギフティアは回収されるが、「OS」を入れ直すことで新しいギフティアとして再生させることもできる。だが、そのギフティアは体は同じであっても中身は別の存在であり、記憶や人格は継承されない。第八話のエルとオリヴィア(アンディ)のエピソードで、その点ははっきりと示されている。

この作品に安易な奇跡は用意されていない。回収するギフティアに対しアイラがかけ続けた言葉は、決して叶わない「夢」である。淡い期待を抱いていたツカサも、最後にはその事実を受け入れていった。これでアイラだけが特別だったなら、この物語は一気に色あせるだろう。永遠が存在しないからこそ、過ぎていく一瞬一瞬を精一杯生きる意味が生まれる。


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原作・脚本の林直孝氏によれば、『プラスティック・メモリーズ』というタイトルの意味は「ギフティアの記憶」のことであり、その記憶がデジタルなものなら、それを振り返る行為も、彼らの人生でさえもデジタルなのか、という問いかけを含んでいるという(電撃G's Magazine、2014年11月号)。

確かに、アンドロイドであるギフティアの記憶は「記録」なのかもしれない。一瞬で消せてしまうデータを「記憶」と錯覚しているだけかもしれない。だが、記憶であろうと記録であろうと、ギフティアにとっては大事な「思い出」である。そしてギフティアと共に過ごした者たちにとっても、その記憶は、ギフティアたちが確かに存在したという大切な「存在証明」として、心の中に生き続ける。

エピローグでツカサが語る言葉は、彼がアイラと出会わなければ生まれなかった言葉だろう。アイラとの思い出が彼を成長させた。ギフティアとして生まれ、ギフティアとして消えていったアイラという存在にも、生まれた意味が確かにあったのだ。


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どうあがいても、いつか終わりはやってくる。それはギフティアだけではない。人間だって、いつかは消えてしまう。それぞれの思い出を抱え、いつかやってくる、その瞬間までをどう生きるか。少し頼もしくなったツカサの姿に、「死」が終わりではないという真摯なメッセージを感じた。

 

第七話

『これが正しいのかどうか分からない。俺のただの独りよがりかもしれない。でも俺は、アイラに、この一瞬一瞬を少しでも楽しんでもらいたいって、思うんだ』


第八話

『思い出を作れるのは、今だけなんです。今、この瞬間しかないんですよ』


第十二話

『大切な人と、いつかまた巡り会えますように・・・』


第十三話

『もし、自分の命の時間が、あらかじめ決まっていたとしたら、俺ならどう受け止めるだろう。俺は、その限られた時間を、精一杯、生きようって思う』

 


『プラスティック・メモリーズ』

放送期間:2015年4月~6月
原作・脚本:林直孝
監督:藤原佳幸
製作プロデューサー:鳥羽洋典
アニメーション制作:動画工房

 

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