「超時空要塞マクロス」

 

「超時空要塞マクロス」

 

いわゆる「ロボットアニメ」はエヴァンゲリオンが入り口だったが、その後も特にロボットものに惹かれることはなかったため、一世代前のガンダムやマクロスに興味が向かうこともなかった。ただ、最近は新作というより数年~数十年前のアニメを掘り起こすことに興味が向いており、このタイミングでロボットものの原点とでもいうべき作品に手を付けるのもいいかと思った。

マクロスを選んだのは、「マクロスフロンティア」のテレビシリーズを一から見たかったためである。というのも、私がマクロスシリーズで見たことがあったのは劇場版のフロンティアだけであり、高いクオリティながら、テレビシリーズのエピソードをだいぶ削ぎ落としているような印象があったのを残念に思っていた。劇場版の常と言ってしまえば、それまでだが・・・。かといって、劇場版のすぐあとにテレビシリーズを見返す気にもなれず、少し時間をおいた今、初代マクロスから一通り見てフロンティアにたどり着くのも面白いのではないかと思ったのである。

また、これは偶然なのだが、放送開始の1982年は私が生まれた年でもある。どこか運命的なものを感じたりはしなかったが、同い年ということで、いろいろ思うところもあったりした。年月とは恐ろしいものである、などなど・・・。

なお、この文章を書いている時点で初代マクロスはテレビシリーズから劇場版まで見終わっているが、両者は似て非なるものであり、ここではテレビシリーズについて触れることとし、劇場版については改めて感想を書こうと思う。

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そんなわけで、初代マクロスである。見る前は何となく固いイメージがあり、ひたすら戦争の悲哀を描くような話かと思っていた。なので「古き良き」という言葉が似合うような(実際、古いのだが)、どこか暢気というか牧歌的なところがあり、たまにコメディもあるような雰囲気は意外だった。もちろん戦争を扱っている作品であり、シリアスな展開も多い。登場人物たちはみな、死ぬことと真剣に向き合っている。だが、そういう悲哀さをもってしても作品を暗くしていないのは、人類の持つ「文化」、そしてそれに触発される「感情」が争いさえも駆逐するという、前向きなメッセージが込められているからではないだろうか。

作中、ゼントラーディが敵対する人類を「プロトカルチャー」と恐れたのは、例えば歌であったりキスであったり、要するに「動作」に過ぎない。彼らはその動作をもって「文化」と呼んでいた。それゆえに、文化に触れることによって起こる感情(例えば歌を聴いて感動することなど)まで正しく認識できず、ただ漠然としたインパクトを与える「文化」というものに恐れを抱いたのだ。

物語が進むうち、実はゼントラーディも人類も、遺伝子的には同じであるという事実が分かる。だが、まったく異なる時間を生きてきた両者である。ゼントラーディに至っては最初から「文化」を与えられておらず、戦うことがアイデンティティとなってしまっている。そんな、人類とは「異種族」であるゼントラーディが、人類の文化に感化され、感情を芽生えさせるという奇跡。それこそがこの作品が描きたかった最大のテーマではないか。そして、それゆえにメッセージ性の高い作品となり、多くの人間に影響を与え、今日に至るまで愛され続ける結果となったのではないか。

感情という点で見れば、男女の恋愛もテーマの一つだろう。マックスとミリアの展開には思わず笑ってしまったが、このノリが作品の良さでもある。輝と未沙の関係にもやきもきさせられ、特に未沙に対する輝の態度には納得いかない部分も多々あったが、ミンメイも含めた三角関係は作品を魅力的にしていたと思う。特に第二十七話は印象深かった。戦火にまみれる地球を背景にした輝とミンメイのキスシーンも幻想的だったが、私が特に印象深く感じたのは、統合軍司令部の地下にひとり残された未沙が、助けに来た輝と抱き合うシーンである。モノクロでありながらとても温かく感じられ、ミンメイの「愛は流れる」も相まって非常に印象的だった。

また、この作品は歴史上で絶え間なく存在してきた、戦争に巻き込まれる民間人の悲哀にも目を向けている。「突如として争いに巻き込まれ、住む場所を追われて漂流する民」。こう書けば、そのまま現在の難民の姿に重なるだろう。作中では淡々と描かれたが、マクロス内の住民は死んだものとして扱われ、地球への帰還も拒否される。その後、地球そのものが壊滅状態となり、マクロスの乗員が目指した「帰る場所」そのものが失われたのは、皮肉というほかない。そして、生き残った人々が再び地球で生活を営み始める中、地球の文化を絶やさないためにグローバルが出した結論、それが「宇宙への移民」だったのである。

いくら文化が発達しても争いはなくならないのか。文化では戦争をなくすことはできないのか。そんな諦めに似た疑問を投げかけつつも、この作品が卑屈になっていないのは、文化があれば、愛があれば分かり合える、分かり合えれば争いもなくなるという、明快でポジティブなメッセージが含まれているからだろう。そんな単純な話ではないと言うのは簡単である。だが、作品で理想や価値観を語らないで何を語るのか。最近のアニメが「軽く」なってしまったのは、世界観やキャラクターを型にはめることばかり考えて、人の感情の揺れ動きを丁寧に追わなくなり、当たり障りのない範囲から出ようとしなくなったからではないか。本当に描きたいものを、描くべきものを、省くようになったからではないか。効率という名の下に。

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さすがに三十年以上経っており、wikiを読み通すだけでも苦労する。今後のエピソードに関わる部分は慎重に避けつつも、久しぶりに記事を読むのが楽しい。特に、当時の制作事情は相当苦しかったことがうかがえる反面、その対策としての苦肉の策が成功するなどの皮肉なエピソードは興味をそそる。そして、そんなテレビシリーズの苦労(鬱憤?)が劇場版のクオリティに結実したことを考えれば、産みの苦しみがあったればこそだろうと思う。

見終わってみて、遅まきながらマクロスがいまだに愛されている理由を知った思いである。古くなっても色あせない魅力が、この作品にはある。

 

第四話

『宇宙でマグロを釣った人なんて滅多にいないわよ』

第五話

『地球をどんなに遠く離れたって、宇宙船の中だって、この街は私たちの街じゃない。今までと同じことをやるのよ』

第六話

『戦闘機同士の戦いでは、平然と引き金を引ける自分。輝は、心の片隅が、徐々にではあるが乾いてきているのを感じていた』

第八話

『一条輝にとって思いがけず手にした勲章よりも、ミンメイの喜ぶ顔が、そして自分がその笑顔を与えたことの方が嬉しかった』

第十一話

『宇宙は戦いで満ちあふれ、戦いのあるところにこそ命があるはずだ』

第十四話

『マクロスとは我々にとって、何なんだろう』

第十六話

『戦いは、何も生み出しません』

『一体、何機落とせば敵は来なくなるんですかね? 十万機ですか、百万機ですか!』

第十九話

『一度も撃墜されたことがないっていつも自慢してたのに、機体だけ残して逝っちまうなんてな・・・』


「あいつ、戦争をやめろって言ってる」

「戦争をやめろっていうことは、生きる目的を否定する恐ろしい考えなのに・・・」

「だけど、なんとなく分かるような気も・・・するな」

『どんなにやめたくても、やめられないことだってあるのにね』

第二十話


「あたしたちは死んだことになってるんだって」

「へぇ、じゃ、どこの国でもない幽霊市民ってこと?」

「それでもいいんじゃない? あたしたち、この船に慣れちゃったんだもん」

「マクロス人だもんな」

『皆さん、私は政治とか軍隊のことは分かりません。だけど、ここはずっと私たちが暮らしてきたところです。私たちは、みんな仲間でしょう? マクロスには、私たちの街もあります。これまでだってやってこれたんだもの・・・。きっと、これからだってできます!』

第二十一話

『いいんだよ。こんな生活、好きな人でもいなくちゃやっていけないよ』


「俺たち、これからどうすりゃいいのかね・・・」

「今日を精一杯生きる、それしかないんじゃない?」

「・・・そんなもんかな」

「そんなもんよ」

第二十二話

『俺はミンメイを守るために戦えばいいんだ。それだけでいい、それだけでいいんだ。ここから逃げられないんだったら、それだけでいい』

第二十三話

『ちゃんと口にしないで、分かってもらおうなんて虫が良すぎるわ』

第二十四話

『お礼を言うの、こっちの方だよ。あんたのおかげで、今までずいぶん助けられたしね。今までずいぶん文句言ったけどさ、あんたの管制指示、大したもんだよ』

『キクンノ  モクテキノ  タッセイト  マクロスヘノ  ブジ キカンヲ  イノル  イチジョウ  ヒカル』


「軍人の血を受け継いだお前が今さら理想だけで平和を語ろうという・・・。お前の乗ったシャトルを襲った連中は、和平の呼びかけに応じたかね?」

「血液型や遺伝子構造が同じであろうと、所詮は異星人同士。たやすく分かり合えるわけはない」

「未沙、同じ地球人がたった一つの統合政府を作るのに何千年間戦争を続けたと思うんだ」

『身近に居すぎるから、分からないってことがよくあるのよ? だから、心を許して、わがままな言い合いでケンカになる。でも、心の底では違うの。私とロイの時もそうだった・・・。そんな人、滅多に見つかるもんじゃないわ。言いたかったのはそれだけ』

第二十五話


「彼らはそれを “愛” と呼んでおります」

「・・・”愛”?」

「はい。奴らの社会生活の中で、なくてはならない人の心だとか」

『かつて我々地球人は長きにわたって争いを体験しました。言葉、肌の色、イデオロギー、宗教・・・そのほか、あらゆる困難を乗り越えて、今ようやく地球に平和の兆しをもたらせたのです。それができた私たちだ! ゼントラーディの人々に対しても同じではないだろうか? 宇宙に平和を! それこそ、我々の使命ではないか』

『愛があれば、星の違いなど関わりがないか』(言葉尻が不正確)

第二十六話

『いにしえに、プロトカルチャーと出会った者は、歌の、つまり文化に目覚めて戦いの意志を衰えさせ、そして滅んだのだ』

『我々ゼントラーディ人にとって戦いは命であり、戦うことにより歴史が積み重ねられてきた。しかし今また、文化というものに触れた我が兵士たちは、カルチャーショックで戦闘を拒否し始めたのです』

第二十七話

『おかしなもんだね・・・この小さなマクロスの中で、僕らの住む世界がこんなに違うなんてさ』

『それでもいいんじゃない? ひとりぼっちじゃないんだから』

第二十九話

『私、いったい何のために歌っているのかしら・・・』

『文化なんてモンにみんな浮かれやがって。どうせ一時的な熱狂に過ぎねぇ』

第三十一話

『我々はプロトカルチャーによって作られた、悪魔の人形なのだ・・・』

『文明がどれだけ進歩したとしても、戦争はなくなりますまい! プロトカルチャー人がたどった道のようにです。我々だけではない。あなたがたでさえ、戦争からは逃れられないのです』

第三十三話


「分からないものね、人の縁って・・・」

「人の心もね」

第三十四話

『君の歌に、人を想う優しさがあれば、君は本物の歌手になれる』

第三十五話

『誰だって似たようなもんさ。みんな毎日、いろんな物をポロポロ落としながら生活してるんだ』

第三十六話


「この地球の文化を絶やさぬためにも、宇宙への移民を始めようと思う」

「・・・宇宙移民」

「そう・・・可能な限り早く、可能な限り多くの星へだ」


「ミンメイさん、あなたは一体、誰のために歌を歌うの?」

「自分のため? それとも・・・あなたの歌を愛してくれる人たちのためじゃなくって?」

「あたしたちが戦いに行くのも、あなたが歌を歌うことと同じ理由なのよ」

『もう、歌をやめるなんて言わない』


「それがいつになるかは分からないけど・・・私が、本当の自分の歌を歌えるようになったら、その時は・・・」

「・・・その時は・・・」

「私も、乗せていただけますか? あなたの船に」

「よろこんで。そして、あなたの歌をこの宇宙いっぱいに響き渡らせましょう」

 

『超時空要塞マクロス』

放送期間:1982年10月~1983年6月
原作:スタジオぬえ、アートランド(原作協力)
シリーズディレクター:石黒昇
シリーズ構成:松崎健一
製作:毎日放送、タツノコプロ、アニメフレンド

 

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