「君の名は。」

 

「君の名は。」

 

『僕の従来の作品を観てくださっているファンの方たちには、全力を出しきっていて全身全霊なんだということが伝わるんじゃないかと思います。』

この言葉は新海監督へのインタビューの一文だが、『君の名は。』を見ていながら、私の中で一連の新海作品が次々と浮かんでは消えていった。

絶対的な時間のすれ違いは『ほしのこえ』を、輝く太陽をバックにした幻想的な場面は『雲のむこう、約束の場所』を。東京から見知らぬ土地へ旅立つ場面は『秒速5センチメートル』を、アニミズム的な魂のつながり(ムスビ)の考えかたは『星を追う子ども』を。そして御苑を中心とした新宿から四ツ谷あたりの風景や、ケンカで怪我をしたり年上を好きになっちゃうような男子高校生の姿は『言の葉の庭』を、といった具合に。

ただ、この作品が従来の新海作品と異なっているのは、随所で「楽しさ」を描きにきているところだろう。

『今だったら、ど真ん中のエンターテインメントが作れるんじゃないか、と。大前提としてまず楽しいもので、かつ自分がずっと大切にしてきた、日常につながった情緒や情動も思いきり描く作品。自分としてもそういう作品が観たかったんです。』

今までの作品は笑えないほどシリアスで、だからこそ少し暗いイメージもあった。それが新海作品にとってマイナスになっているということはもちろんなく、むしろシリアスに考えさせる作品づくりが監督のテイストだと思うし、その点は今作でも十分に発揮されている。

しかし、今作ではアニメならではのコミカルな場面づくりが見られ、「楽しさ」を意識していることが伝わってくる。監督自身はそれを『サービス』と形容しているが、それは決して観客に対する上辺だけの媚びたものではなく、無理に笑いを取ろうという類いのものでもない。「体が入れ替わったらそうなるよね」という自然な滑稽さなので、純粋に笑えてしまう。そういう掛け値なしの「楽しさ」なのである。

『君の名は。』は、今までの新海作品の終着点のように見えて、始発点のようでもある。それをもっとも感じたのは終盤の描きかたである。少しだけだが、桜の花びらが映る場面がある。新海作品を見ている方なら、そこで『秒速~』を思い浮かべるだろう。それと同時に私にはその結末の苦さといったものも思い起こされた。タイミングも終わりに近く、監督自身も『秒速~』を意識していたのではないか。

私自身は未来をはっきり規定せず、観客に託す終わりかたも嫌いではないのだが、監督はインタビューで『秒速~』についても触れていて、『バッドエンドを描いたつもりはなかった』と語っている。おそらく監督自身には観客に「うまく伝わらなかった」という思いがあったのだろう。私には今作のラストに、そんな監督の伝えたい「思い」が込められているように感じられた。

それは決して『秒速~』の焼き直しではない。漠然とした喪失感を抱かせたままで終わらせず、その先に待ち受けているであろう新たな希望を、見る側にはっきり伝わる形で描く、新海監督が得た新しい方向性の一つなのだと思う。

余談だが、今までになかった点でどうしても外せないポイントがある。それは、過去作品のキャラクターが再登場していることである。プロダクションノートによれば、似ているキャラではなく当の本人という設定だという。これもまた「楽しさ」の追求の一環だったのかもしれないが、『言の葉~』が好きな私にとって嬉しい再会であった。

(タイトル名以外の『 』内はパンフレットに依った。)

 

『君の名は。』

公開日:2016年8月26日
原作・監督・脚本:新海誠
アニメーション制作:コミックス・ウェーブ・フィルム

 

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