「デス・パレード」

 

「デス・パレード」

 

この作品は「人間の死」というものと否応なしに向き合わされる。六話のようなコメディパートがあっても、全体的に言えば見ているのが辛くなってくる展開の連続である。

死んだ人間が訪れる死後の世界。そこには「裁定者」と呼ばれる存在がいて、死者の魂を「裁定」している。裁定とは、人間を「極限状態」に置くことで、その本質を見抜き、魂を「虚無」か「転生」に振り分けることだという。「虚無」なら魂の墓場に落とされ、「転生」なら別の魂となって現世に戻される。

つまり、たとえ「転生」送りになったとしても、元の人間に生き返るわけではない。この世界に送られてきた魂の話はすでに「終わっている」のであり、裁定とはただの事後処理にすぎない。ゆえに裁定者と呼ばれる者たちに感情は必要なく、彼ら自身も裁定することに何の疑問も意味も持とうとしていない。ただ機械的に作業をしているだけの存在である。

そんな世界にあって、ノーナは、感情を持った裁定者を作り出そうとする。裁定者は裁定するだけの「人形」である。だが「人間」に近づくことはできるかもしれない。そんな「人間の感情」を持った裁定者を作り、裁定させること。それがノーナの目的であった。そして、デキムはその「実験」の結果、人間に寄り添う裁定者になろうと決意する。それは変化を望むノーナにとって希望の始まりであるが、同時に絶望の始まりでもある。その絶望の意味をもっともよく知っていたのは、裁定者のトップであるオクルスだろう。

彼は容姿が奇抜でとらえどころがなく、不気味な存在である。デキムを変化させようとするノーナの行動を嗅ぎ回っている。だが、最終話で彼が語る裁定者の条件の四つ目は、裁定者という存在の悲哀そのものである。人間と違って死が訪れない彼らは、つまり永久に裁定をくり返す人形であり、人間と同じ感情を持ってしまえば、いずれは限界が訪れてしまう。死ねないのに、死という限界を望んでしまう。それは絶望以外の何者でもないだろう。

オクルスは裁定のシステムを作り上げた存在だという。もしかしたら、人間に近づいた裁定者を過去に見たがゆえに、ノーナの行動は無駄だと悟っているのかもしれない。オクルス自身が、そのなれの果てと考えることもできるだろう。

裁定者はどこまで行っても人形である。では、人間のように振る舞い、人間の感情を理解した人形を「人間」と呼べるのか。人形でも魂が宿っていれば「人間」なのか。人形と人間の境界とは魂の有無だけなのか。「人形」は「人間」になれるのか。この作品の本質的な問いかけは、そこにあると思う。

人間の魂を裁定する場面では、人間の醜さというものを嫌というほど見せられるが、中でも「復讐」「殺人」という最も重いテーマで描かれたのは、前後編に分かれた八話と九話だ。やってきた二人のうちどちらかが殺人者だという。一人は刑事、一人は血が付いた包丁を持った青年。状況から見れば明らかなようだが、背後関係が分かっていくうちに、今度は何が正しいのか分からなくなっていく。そして、もっとも心をえぐる形で物語は終わりを迎える。

このエピソードは内容もさることながら、ストーリー上、重要な転換点でもある。混乱した裁定の場で、裁定方法自体を正面から否定した「黒髪の女」によって、無表情を貫いてきたデキムが、はじめて「苦悶」を見せるのだ。そして、このエピソードをきっかけにして、彼もまた現在の裁定方法にはっきりとした疑問を持ち、裁定の意味を深く考え始める。

ノーナの暗躍もあったが、デキムの変化の起点にあったのは「黒髪の女」の存在だろう。初めからミステリアスな彼女だが、終盤ではついに自分の過去を取り戻し、裁定の対象となる。彼女がスケートとともに過去を思い出していく場面に台詞はなく、ただ音楽とともに、彼女の人生が走馬燈のように映し出されていく。作品中、屈指のシーンであり、ここだけでも見た甲斐はあったと思わせるに十分な場面だった。

最終話、デキムは仮想の現実世界を用意してまで、彼女をより深く知ろうとした。すべては彼女を知りたいがため、人間をもっと知りたいがため。だが結局、それもまた裁定なのだ。裁定できずに持てあましたマユを、強引な方法で裁定したギンティと何も変わらない。

デキムは最終的に人間の心に近づいたように見える。だが、結局はどこまでいっても裁定者であり、裁定を基準にしか考えられない。彼女との別れ際、彼女の満足そうな答えに「素晴らしい」と応え、これからも裁定者として、人間に満足してもらえる裁定をしていきたいと語る。その答えは裁定者の域を出ておらず、やはり「人間ではない」という冷めた印象を受ける。

だが、エレベーターの扉が閉じて彼女がいなくなったとき、デキムは一人「さようなら」とつぶやく。そこには、やはり「人間らしさ」を感じずにはいられない。デキムは、なぜ彼女に固執したか。最初にデキムの前に現れた彼女が、例外的に「死の記憶」を持っていると分かったとき、なぜ自分に裁定させてくれと言ったのか。スケートリンクで記憶を取り戻した彼女に「もっと分かりたい」「会えて本当によかった」と言ったデキムの中にあったもの、それは恋愛感情ではなかったか。「裁定者は感情を知ることができない」。だが、最後に笑顔を見せたデキムに、それができなかったか。

デキムの変化は、裁定者の世界を変えるかもしれないし、結局は変わらないのかもしれない。物語は、その後どうなったかを描いていない。だが、確定的ではない未来は、人間にも、裁定者にも平等に訪れる。変わるかもしれないという予感とともに。

 

二話

『人間のもっとも原始的な感情って何か分かる? ――恐怖よ』

三話

『「人生というのは、本当に不思議です」

「それぞれの人生は、まったく別々の物語を紡ぎながら複雑に絡んでいきます。そして、結末は誰にも分からない」

「そうね、死ぬまで分からない。ううん、死んでも分かってないのかも」

「でもさ、だから面白いんでしょ!」』

九話

『悲しみだけじゃない。人の数だけ感情があるの。怒りで理性を失う人のもろさ、愛情があるから恐怖を乗り越えることができる強さ。何一つ理解できてないくせに、それでどうして、裁定なんてできるの?』

『世界が残酷なのは当たり前なんだ、世界を変えられないなら、お前が変われ!』

『人は、あんたが思ってるほど、複雑なんかじゃない。もっと単純に、簡単なことで悲しんだり、怒ったりするの。そういうもんなの! ちょっとしたことにすぐ影響を受けて、どう転ぶかも分からないのに、生きて、それが人なの!』

十話

『人間はいつか死ぬから生きるわけではないんです。生きているから、いつか死ぬんです。生きることには意味がある』

十一話

『人と人は分かり合えないの。分かり合いたいって思うのは、間違いなのよ。死んでから分かるなんて、残酷だね、人生って』

『「MEMENTO MORI、死を思え、という意味があるそうです」

「いつか必ず死ぬことを忘れるな。そして、だからこそ今を生きる」』

 

『デス・パレード』

放送期間:2015年1月~3月
原作:立川譲/マッドハウス
監督・シリーズ構成・脚本:立川譲
アニメーション制作:マッドハウス

 

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