「聲の形」

 

「聲の形」

 

売れて話題になるほどの作品ならばニュースにもなるこのご時世、『聲の形』のタイトルだけはいつからともなく目にしていたが、読んでみようか、と考えながらも結局読まず終いだった。

最近はほとんど漫画を読まなくなった。読めば面白いものも多々あるに違いない。だが自分から積極的に読みにいくことはなくなった。どうしてと考えるに、おそらく、いつ終わるともしれない物語をたくさん抱え込むことに疲れたのだろう。漫画やラノベ原作のアニメも手を付けなくなり、もっぱらオリジナル作品ばかりを見るようになっている。

それでも今回『聲の形』を見ることにしたのは、以前見た『たまこまーけっと』と、その劇場版である『たまこラブストーリー』が非常によくできており、その監督、脚本コンビ(山田尚子、吉田玲子)による制作ということが一番の理由だが、原作が完結しているということも大きかった。原作が完結していなかったのなら、あるいは見なかったかもしれない。

長くなったが、つまりそういったわけで私は原作を読んでいない(これを言いたかった)のだが、そういう立場からいえば、原作がどういうものであれ、この映画はきれいに完成されている。原作からそぎ落とされた部分も、もちろんあるのだろう。だが、それを補完しなくてもいいほどに最後まで丁寧に作り込まれており、見てよかったと素直に思える作品である。

小学生時代、聴覚障害を持つ「硝子」をいじめ、それが問題視されてからは逆にいじめられる立場に立たされる「将也」。因果応報という名の業だろう。わんぱくでガキ大将だった将也は、いつからか人の顔を見られない、人と付き合うことに臆病な人間になってしまう。

「いじめた」という過去はそれだけ重くのしかかる。手話を勉強したのも、硝子に再会したのも、すべては罪滅ぼし、懺悔なのだろうか。いじめて、いじめられた自分が、友達を作ったり、楽しんだりしていいのだろうか。そんな問いが常に将也を苦しめている。

それはどこまで行っても将也の問題であるが、それは「いじめ」に関わった周囲の人間にとっても同じことであり、いくら月日が経っても、抜けることのない「トゲ」となって彼らの心に刺さりつづけている。みんな心にわだかまりを持ち、でも、どうしたらいいか分からなくて、目を逸らし続けている。

それでも、である。この作品は、それでも、のその先と真剣に向き合い、真摯に描いている。辛く、苦しい経験の乗り越え方は人それぞれで、乗り越えられないことも、たとえ乗り越えたとしてもすべてが解決しないことだってある。それでも、人は前に進める。「こんな辛いことはこの先いくらだってある」というメッセージは力強く、心に響く。

見ていて辛くなるほど痛みを伴う作品だが、人同士の距離を誠実に描いていることへの裏返しでもある。見ていていろいろな感情が浮かび上がってくるのを感じた。

 

『聲の形』

公開日:2016年9月17日(土)
原作:大今良時
監督:山田尚子
脚本:吉田玲子
アニメーション制作:京都アニメーション

 

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